東京高等裁判所判事 岡口基一 分限裁判決定全文

平成30年(分)第1号

 

決定

 

東京高等裁判所判事

被申立人 岡口基一

代理人弁護士 別紙代理人目録記載のとおり

 

 上記被申立人に対し東京高等裁判所から裁判官分限法第6条の規定による申立てがあったので,当裁判所は,被申立人の陳述を聴いた上,次のとおり決定する。

 

主文

被申立人を戒告する。

 

理由

1 本件に至る経緯

(1)被申立人は,平成6年4月13日付けで判事補に,同16年4月13日付けで判事に任命され,同27年4月1日から東京高等裁判所判事の職にあり,民事事件を担当している者である。

(2)被申立人は,水戸地方・家庭裁判所下妻支部判事であった平成26年4月23日頃,ツイッター(インターネットを利用してツイートと呼ばれる140文字以内のメッセージ等を投稿することができる情報ネットワーク)上の被申立人の実名が付された自己のアカウント(以下「本件アカウント」という。)において,裁判官に任命された者に交付される辞令書である官記の写真と共に,自己の裸体の写真や白いブリーフのみを着用した状態の写真等を今後も投稿する旨の別紙ツイート目録記載1の投稿をし,その後も,同28年3月までの間に,本件アカウントにおいて,縄で縛られた上上半身裸の男性の写真を付したコメントをするなど2件の投稿をした。東京高等裁判所長官は,同年6月21日,被申立人に対し,上記3件の投稿は裁判官の品位と裁判所に対する国民の信頼を傷つける行為であるとして,下級裁判所事務処理規則21条に基づき,口頭による厳重注意をした。

(3)被申立人は,平成29年12月13日頃,裁判官であることを他者から認識することができる状態で,本件アカウントにおいて,特定の性犯罪事件についての判決を閲覧することができる裁判所ウェブサイトのURL(利用者の求めに応じてインターネット上のウェブサイトを検索し,識別するための符号)と共に,「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」,「そんな男に,無惨にも殺されてしまった17歳の女性」と記載した投稿をして,被害者遺族の感情を傷つけるなどした。東京高等裁判所長官は,平成30年3月15日,被申立人に対し,上記の行為は,裁判官として不適切であるとともに,裁判所に対する国民の信頼を損なうものであるとして,下級裁判所事務処理規則21条に基づき,書面による厳重注意とした。

 なお,被申立人は,上記投稿について東京高等裁判所長官から事情聴取を受けた際,遺族の方を傷つけて申し訳なかった。やってはいけないことをやってしまったという思いである,深く反省しているなどと述べていた。

 

2 懲戒の原因となる事実

 被申立人は,平成30年5月17日頃,本件アカウントにおいて,東京高等裁判所控訴審判決がされて確定した自己の担当外である犬の返還請求等に関する民事訴訟についての報道記事を閲覧することができるウェブサイトにアクセスすることができるようにするとともに,別紙ツイート目録記載2の文言を記載した投稿(以下「本件ツイート」という。)をして,上記訴訟を提起して犬の返還請求が認められた当事者の感情を傷つけた。

 本件ツイートは,本件アカウントにおける投稿が裁判官である被申立人によるものであることが不特定多数の者に知られている状況の下で行われたものであった。

 

3 証拠
 上記1及び2の各事実は,①被申立人の履歴書,②東京高等裁判所事務局長作成の平成30年6月12日付け及び同年7月4日付け各報告書により,これを認める。
 なお,本件ツイートが裁判官によるものであると知られている状況の下で行われたことは,別紙ツイート目録記載1の投稿が被申立人の判事任命に係る官記の写真と共にされたことや,被申立人が平成30年2月頃,対談者の一方の表示を「裁判官岡口基一」とする対談本を紹介する投稿を本件アカウントにおいて行ったこと,前記1記載の各投稿及びこれに対する各厳重注意が裁判官による非違行為として実名で広く報道されたこと等から,明らかに認められる。
 
4 判断
(1)裁判の公正,中立は,裁判ないしは裁判所に対する国民の信頼の基礎を成すものであり,裁判官は,公正,中立な審判者として裁判を行うことを職責とする者である。したがって,裁判官は,職務を遂行するに際してはもとより,職務を離れた私人としての生活においても,その職責と相いれないような行為をしてはならず,また,裁判所や裁判官に対する国民の信頼を傷つけることのないように,慎重に行動すべき義務を負っているものというべきである最高裁平成13年(分)第3号同年3月30日大法廷決定・裁判集民事201号737頁参照)。
 裁判所法49条も,裁判官が上記の義務を負っていることを踏まえて,「品位を辱める行状」を懲戒事由として定めたものと解されるから,同条にいう「品位を辱める行状」とは,職務上の行為であると,純然たる私的行為であるとを問わず,およそ裁判官に対する国民の信頼を損ね,又は裁判の公正を疑わせるような言動をいうものと解するのが相当である。
(2)前記2の事実によれば,被申立人は,本件アカウントにおける自己の投稿が裁判官によるものであることが不特定多数の者に知られている状況の下で,本件アカウントにおいて,公園に置き去りにされた犬を保護して育てていた者に対してその飼い主が返還等を求める訴訟を提起したことについて,この行動と相いれないものとして上記飼い主の過去の行動を指摘しつつ,揶揄するものともとれる表現を用いて驚きと疑問を示すとともに,上記飼い主による犬の返還請求を認めた判決が確定した旨を報ずる報道記事にアクセスすることができるようにした本件ツイートを行ったものである。そして,前記3②の証拠によれば,上記報道記事は専ら上記訴訟の被告側の視点に立って書かれたものであると認められるところ,本件ツイートには,上記飼い主が訴訟を提起するに至った事情を含む上記訴訟の事実関係や上記飼い主側の事情について言及するところはなく,上記飼い主の主張について被申立人がどのように検討したかに関しても何ら示されていない。また,別紙ツイート目録記載2のとおり,本件ツイートにおける上記驚きと疑問が,専ら上記訴訟の被告の言い分を要約して述べたにすぎないもの,あるいは上記報道記事の要約にすぎないものと理解されることとなるような記載はない上,上記報道記事にも本件ツイートで用いられたような表現は見当たらず,本件ツイートは,一般の閲覧者の普通の注意と閲覧の仕方とを基準とすれば,そのような訴訟を上記飼い主が提起すること自体が不当であると被申立人が考えていることを示すものと受け止めざるを得ないものである。現に,上記飼い主は,東京高等裁判所を訪れて,「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3か月も放置しておきながら・・」との記載に傷つき,被申立人に抗議したいこと,本件ツイートの削除を求めること,裁判所としてこの問題にどのような対応をするのか知りたいこと等を述べ,本件ツイート削除後も,裁判所として被申立人を注意するよう述べたことが認められる(前記3②の証拠)。
 そうすると,被申立人は,裁判官の職にあることが広く知られている状況の下で,判決が確定した担当外の民事訴訟事件に関し,その内容を十分に検討した形跡を示さず,表面的な情報のみを掲げて,私人である当該訴訟の原告が訴えを提起したことが不当であるとする一方的な評価を不特定多数の閲覧者に公然と伝えたものといえる。被申立人のこのような行為は,裁判官が,その職務を行うについて,表面的かつ一方的な情報や理解のみに基づき予断をもって判断をするのではないかという疑念を国民に与えるとともに,上記原告が訴訟を提起したことを揶揄するものともとれるその表現振りとあいまって,裁判を受ける権利を保障された私人である上記原告の訴訟提起行為を一方的に不当とする認識ないし評価を示すことで,当該原告の感情を傷つけるものであり,裁判官に対する国民の信頼を損ね,また裁判の公正を疑わせるものでもあるといわざるを得ない。
 したがって,被申立人の上記行為は,裁判所法49条にいう「品位を辱める行状」に当たるというべきである。
 なお,憲法上の表現の自由の保障は裁判官にも及び,裁判官も一市民としてその自由を有することは当然であるが,被申立人の上記行為は,表現の自由として裁判官に許容される限度を逸脱したものといわざるを得ないものであって,これが懲戒の対象となることは明らかである。また,そうである以上,本件申立てが,被申立人にツイッターにおける投稿をやめさせる手段として,あるいは被申立人がツイッターにおける投稿をやめることを誓約しなかったことを理由にされた不当なものということはできない。
 そして,被申立人は,本件ツイートを行う以前に,本件アカウントにおける投稿によって裁判官の品位と裁判所に対する国民の信頼を傷つけたなどとして2度にわたる厳重注意を受けており,取り分け2度目の厳重注意は,訴訟に関係した私人の感情を傷つけるものである点で本件と類似する行為に対するものであった上,本件ツイートの僅か2か月前であったこと,当該厳重注意を受ける前の事情聴取の際,被申立人は,訴訟の関係者を傷つけたことについて深く反省しているなどと述べていたことにも照らすと,そのような経緯があるにもかかわらず,本件ツイートに及んだ被申立人の行為は,強く非難されるべきものというほかない。
 
 よって,裁判官分限法2条の規定により被申立人を戒告することとし,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。なお,裁判官山本庸幸,同林景一,同宮崎裕子の補足意見がある。
 
 裁判官山本庸幸,同林景一,同宮崎裕子の補足意見は,次のとおりである。
 
 私たちは,法廷意見に賛同するものであるが,それは,次のような考え方によるものである。
1 本件において懲戒の原因とされた事実は,ツイッターの本件アカウントにおける投稿が裁判官である被申立人によるものであることが不特定多数の者に知られている状況の下で,本件で取り上げられた訴訟につき,主として当該訴訟の被告側の主張を紹介する報道記事にアクセスすることができるようにするとともに,揶揄するような表現で間接的に当該訴訟の原告の提訴行為を非難し,原告の感情を傷つけたというものであって,このような行為は,公正中立を旨とすべき裁判官として,不適切かつ軽率な行為であると考える次第である。被申立人は,本件ツイートは,報道記事を要約しただけのものであって原告の感情を傷つけるものではないなどと主張しているが,本件ツイートのアクセス先の報道記事全体が主として被告側の主張を紹介するものであることは文面から容易に読み取れるため,それについて本件ツイートのような表現でツイートをすれば,現役裁判官が原告の提訴行為を揶揄している投稿であると受け止められてもやむを得ないというべきである。
2 しかも被申立人は,本件に先立つ2年余りの間に,本件アカウントにおいて行ったいくつかの投稿の内容につき,東京高等裁判所長官から,2度にわたって,裁判官の品位と裁判所に対する国民の信頼を傷つける行為であるなどとして,口頭又は書面による厳重注意を受けている。
 中でも,2度目の厳重注意を受けた投稿は,特定の性犯罪に係る刑事訴訟事件の判決について行ったもので,本件ツイート以上に明白かつ著しく訴訟関係者(被害者遺族)の感情を傷つけるものであった。その意味で,私たちは,これは本件ツイートよりも悪質であって,裁判官として全くもって不適切であり,裁判所に対する国民の信頼をいたく傷つける行為であるとして,それ自体で懲戒に値するものではなかったかとも考えるものである。しかしながら,これに関する東京高等裁判所長官による事情聴取に対して,被申立人は,「遺族の方を傷つけて申し訳なかった・・・深く反省している。」と申し述べていたことからして,おそらく当時の東京高等裁判所長官としては,この反省を踏まえて,あえて厳重注意にとどめたのではないかと推察する次第である。
3 このような経緯を踏まえれば,本件アカウントにおいて,この2度目の厳重注意から僅か2か月余りしか経過していない時に,やはり特定の訴訟について訴訟関係者の感情を傷つける投稿を再び行ったということには,もはや宥恕の余地はないものといわざるを得ない。本件ツイートと2度目の厳重注意事案との悪質性の比較は措くとしても,懲戒処分相当性の判断に当たり,本件ツイートは,いわば「the last straw」(ラクダの背に限度いっぱいの荷が載せられているときは,麦わら一本積み増しても,重みに耐えかねて背中が折れてしまうという話から,限界を超えさせるものの例え)ともいうべきものであろう。
4 なお,被申立人は,厳重注意措置の対象となった過去の投稿に係る一事不再理を主張する。しかしながら,本件の処分理由は,過去の行為そのものを蒸し返して再度問題にするものではない。そうではなくて,過去2回受けた厳重注意と,特に,2度目の厳重注意を受けた際の反省の弁にもかかわらず,僅か2か月余りが経過したばかりで同種同様の行為を再び行ったことを問題としているものである。
5 ちなみに,現役裁判官が,ツイッターにせよ何にせよ,SNSその他の表現手段によってその思うところを表現することは,憲法の保障する表現の自由によって保護されるべきであることは,いうまでもない。しかしながら,裁判官はその職責上,品位を保持し,裁判については公正中立の立場で臨むことなどによって,国民の信頼を得ることが何よりも求められている。本件のように,裁判官であることが広く知られている状況の下で表現行為を行う場合には,そのような国民の信頼を損なうものとならないよう,その内容,表現の選択において,取り分け自己を律するべきであると考える。
 そして,そのような意味での一定の節度あるいは限度というものはあるものの,裁判官も,一国民として自由な表現を行うということ自体は制限されていないのであるから,本件のような事例によって一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように,念のため申し添える次第である。
 
 平成30年10月17日
 最高裁判所大法廷
裁判長裁判官 大谷 直人
裁判官    岡部喜代子
裁判官    鬼丸かおる
裁判官    山本 庸幸
裁判官    山﨑 敏充
裁判官    池上 政幸
裁判官    小池 裕
裁判官    木澤 克之
裁判官    菅野 博之
裁判官    山口 厚
裁判官    林  景一
裁判官    宮崎 裕子
裁判官    深山 卓也
裁判官    三浦 守
 
代理人目録
野間 啓  伊藤 和子 大賀 浩一 小倉 秀夫
加藤 公司 酒井 雅男 寺町 東子 鳥海 準
西村 正治 宮崎 真  内藤 貴昭 小関 勇二
園部 洋士 高谷 武良 阿部 英雄 植田 薫
原田恵美子 高島 秀行
 
(別紙)
ツイート目録
 1 判事任命の官記の写真1枚と共に,「俺が再任されたことを,内閣の人が,習字で書いてくれたよ。これを励みにして,これからも,エロエロツイートとか頑張るね。自分の裸写真とか,白ブリーフ一丁写真とかも,どんどんアップしますね。」などと記載したツイート
 
2 公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,もとの飼い主が名乗り出てきて,「返して下さい」え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3か月も放置しておきながら・・裁判の結果は・・

菅首相vs安倍首相 名誉毀損裁判 最高裁判所 決定全文

平成28年(オ)第1866号

平成28年(受)第2347号

 

決定

 

東京都千代田区永田町2丁目2番1号 衆議院第一誌員会館512
上告人兼申立人    菅直人
同訴訟代理人弁護士  喜田村洋一


東京都千代田区永田町2丁目2番1号 衆議院第一議員会館1212
被上告人兼相手方   安倍晋三
同訴訟代理人弁護士  古屋正隆
同          橋爪雄彦
同          岩佐孝仁

 

主文

本件上告を棄却する。

本件を上告審として受理しない。

上告費用及び申立費用は上告人兼申立人の負担とする。

 

理由

 

1 上告について

 

 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,本件上告の理由は、理由の不備をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。

 

2 上告受理申立てについて

 

 本件申立ての理由によれば,本件は,民訴法第318条1項により受理すべきものとは認められない。

 

 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

 

 平成29年2月21日

  最高裁判所第三小法廷

   裁判長裁判官      大谷 剛彦

   裁判官         岡部喜代子

   裁判官         大橋 正春

   裁判官         木内 道祥

   裁判官         山﨑 敏充

菅首相vs安倍首相 名誉毀損裁判 東京高等裁判所 判決文全文

平成28年9月29日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成28年(ネ)第25号 メールマガジン記事削除等請求控訴事件
(原審東京地方裁判所平成25年(ワ)第18564号)
口頭弁論終結日平成28年7月14日

 

判決


東京都千代田区永田町2丁目2番1号 衆議院第一誌員会館512
控訴人       菅直人
訴訟代理人弁護士  喜田村洋一


東京都千代田区永田町2丁目2番1号 衆議院第一議員会館1212
控訴人      安倍晋三
訴訟代理人弁護士  古屋正隆
同         橋爪雄彦
同         岩佐孝仁

 

主文

 

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は控訴人の負担とする。

 

事実及び理由

 

第1 控訴の主旨


1 原判決を取り消す。

2 被控訴人は、控訴人に対し、被控訴人が管理するメールマガジンに、原判決別紙謝罪記事目録記載の記事を掲載し、これを2年以上掲載し続けよ。

3 被控訴人は、控訴人に対し、1100万円及びこれに対する平成23年5月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 

第2 事案の概要


 本件は、平成23年5月当時内閣総理大臣の職にあった国会議員である控訴人が、同じく国会議員であり、平成18年9月から平成19年9月まで及び平成24年12月から現在まで内閣総理大臣の職ある被控訴人に対し被控訴人が、東日本大震災に伴う東京電力株式会社(以下「東京電力」という。)の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という。)の事故(以下「本件事故」という。)に関する控訴人の対応について、内容虚偽の事実を記載した菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題する記事(以下「本件記事」という。)を掲載したメールマガジン(以下「本件メールマガジン」という。)を多数の者に対して配信し、さらに、被控訴人が開設し、管理するウエプサイト(以下「本件サイト」という。)に本件記事をパックナンバーとして掲載し続け、控訴人の名誉を毀損したと主張して、①不法行為に基づき;損害賠償として慰謝料1000万円及び弁護士費用100万円の合計1100万円並びにこれに対する不法行為日の後である平成23年5月21日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払及び②民法723条に基づく名誉回復措置として謝罪記事の掲載を求めている事案である:。

 原審は、控訴人の請求を棄却し、控訴人が、本件控訴を提起した。

 

1 前提事実(争いのない事実及び後掲各証拠により容易に認められる事実)

 

(1) 当事者等


 ア 控訴人は、民進党(平成28年3月以前は民主党)所属の衆議院議員であり、平成22年6月8日から平成23年9月2日まで内閣総理大臣の職にあった。控訴人は、東京工業大学応用物理学科卒業の経歴を有する。


 イ 被控訴人は、自由民主党所属の衆議院議員であり心平成18年9月26日から平成19年9月26日まで及び平成24年12月26日から現在まで内閣総理大臣の職にある。


 ウ 被控訴人は、平成23年5月当時、自身の運営する本件サイトを介して登録した者に対し自身の政治的意見等を記事として記載したメールマガジンを配信しており、そのバックナンバーを本件サイトに掲載して公表していた(甲6)。

(2) 本件事故の発生

 

 平成23年3月11日(以下、月日のみを摘示している事実は平成23年のものを指す。)午後2時46分頃発生した東北地方太平洋沖地震(以下「本件地震」という。)及びその後発生した津波により、同日午後3時42分頃、福島第一原発の1号機ないし4号機(以下、単に「1号機」というように略称することもある。)が全交流電源喪失の状態となり、その後1号機及び2号機について非常用炉心冷却装置による注水が確認できない状態となった(本件事故の発生)

 東京電力は、同日午後3時42分頃、原子力災害対策特別措置法(以下「原災法」という。)10条1項に基づき、前記全交流電源喪失の事実を原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)に通報し、さらに同日午後4時45分頃、原災法15条1項及び平成24年文部科学・経済産業。国土交通省令3号による廃止前の原子力災害対策特別措置法施行規則21条1号ロ所定の特定事象(原子炉の運転中に沸騰水型軽水炉において当該原子炉への全ての給水機能が喪失した場合において、全ての非常用炉心冷却装置による当該原子炉への注水ができないこと。)が発生したとして、保安院にその旨報告した。これを受け、海江田万里経済産業大臣(以下「海江田大臣」という。)は、内閣総理大臣である控訴人に対して、原災法15条2項所定の原子力緊急事態宣言をすることについて了承を求め。。同日午後7時03分、政府は原子力緊急事態宣言をした(甲19、乙1)。

 

(3)海水注入の実施をめぐる動き

 

 ア 本件地震の発生直後、1号機では、原子炉を冷却するため、原子炉容器内に注水する措置がとられていたが、東京電力は、3月12日、淡水が枯渇した後に海水を注入する方針を決定した。

 

 イ 一方、内閣総理大臣官邸(以下「官邸」という。)においては、同日午後6時頃から、控訴人、細野豪志内閣総理大臣補佐官(以下「細野補佐官」という。)、海江田大臣、斑目春樹原子力安全委員会委員長(以下「斑目委員長」という。)及び保安院の職員らが集まり、20分間程度、1号機に海水を注入すること等について検討するための会議を行った(以下「本件会議」という。)。

 本件会議には、控訴人の指示により、東京電力の説明者として官邸内に待機していた東京電力の武黒一郎フェロー(以下「武黒フェロー」という。)も参加した。(甲19、乙1、乙32ないし34)

 

 ウ 福島第一原発の所長であった吉田昌郎(以下「吉田所長」という。)は、同日午後7時4分、準備が整ったとして1号機の原子炉に海水注入を開始し、同日午後7時25分頃、官邸にいた武黒フェローから海水注入を停止するように求められたが、海水注入を継続する指示をし続けたため、実際には海水注人が中断されることはなかった(甲7、乙1、5、15,35)。


 エ 控訴人は、同日午後7時55分頃、海江田大臣に対し、準備でき次第海水注入を開始するように指示した。なお、この段階において、控訴人は、1号機に海水注入が開始された事実を知らされていなかった(甲19、乙2、15)。

 

(4)海水注入をめぐる政府発表等


 3月12日午後8時50分頃、官邸ウェブサイトの本件事故に関する政府の対応を時系列で説明したページに「18:00 総理大臣指示」「福島第一原発について、真水による処理はあきらめ海水を使え」との記載がされた。控訴人は、その頃、自らマスコミ取材に応じ、同日午後8時20分から1号機に海水を注入する異例の措置を始めた旨を発表した(乙18,24,25)。

 

(5)本件記事の配信とその内容
控訴人は、5月20日午後7時頃、本件メールマガジンを配信したが、本件メールマガジンには、被控訴人の執筆にかかる菅総理の海水注入指示はでっち上げ」との見出しが付けられた本件記事が掲載されていた。

 本件記事の内容は、次のとおりである。

 「福島第一原発問題で菅首相の雎ーの英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。
 複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。
 12日19時04分に海水注入を開始。
 同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。
 官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。
 実務者、識者の説得で20時20分注入再会。(ママ)
 実際は、東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。

 しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。

 この事実を糊塗する為最初の注入を「試験注入」として、止めてしまった事をごまかし、そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。

 これが真実です。

 菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」
(甲1、乙38)


(6)東京電力による海水注人を巡る事実関係の訂正


 5月26日、東京電力は、1号機への海水注入に関する時系列を訂正する報道発表を行い、3月12日午後7時25分頃、東京電力の官邸派遣者から「官邸では海水注入について首相の了解が得られていない」との連絡があり、いったん海水の注入を中止することとしたが、吉田所長の判断により、実際には1号機への海水注入は停止されす、継続していた旨の事実を公表し、5月27日の朝刊がこれを報道した(甲2、乙7)。


(7)本件記事の掲載継続と削除


 被控訴人は、5月20日に本件メールマガジンを配信した後、本件サイトにおいて本件出事をパックナンバーとして公表していたが、遅くとも平成27年5月頃までに本件記事を含む過去のメールマガジン記事を本件サイト上から削除した。

 

2 争点及び当事者の主張


 本件の争点は、①本件記事の摘示事実は何か及び同記事は控訴人の社会的評価を低下させるものか否か(争点1)、②真実性又は相当性の抗弁の成否(争点2)、③本件記事を被控訴人が管理する本件サイトに掲載し続けたことが不法行為に当たるか(争点3)、④控訴人に生じた損害(争点4)、⑤名誉回復措置としての謝罪広告の要否(争点5)であり、各争点についての当事者の主張は以下の通りである。

 

(1)本件記事の摘示事実は何か及び同記事は控訴人の社会的評価を低下させるものか否か(争点1)。

 

控訴人の主張)

 

 ア 本件記事は、①3月12日午後7時4分に東京電力が開始した海水注入について、その報告を受けた控訴人が「俺は聞いていない」と激怒して止めさせたが、その後、実務家と識者が控訴人を説得した結果、同日午後8時20分に海水注入が再開されたという事実(以下「摘示事実1」という。)及び②控訴人が同日午後7時4分に開始された海水注入を「試験注入」として、同日19時25分に海水注入を止めたことをごまかし、海水注入が控訴人の英断であるとの嘘をついたという事実(以下「摘示事実2」という。)を摘示した上、これらの事実を前提として、海水注入を中断させた控訴人の判断は誤っており、中断前の海水注入を「試験注入」としたのは、控訴人が海水注入を中新させたことを「糊塗」するためであって、控訴人は誤った判新と嘘をついたことについて国民に謝罪し、直ちに辞任すべきであるとの意見ないし論評の表明を行ったものである。

 イ そうすると、本件記事は、原子炉を冷却することができず危険な状態になっていた福島第一原発には海水の注入が必要であり、現にこれが実施されていたにもかかわらず、控訴人が誤った判断によってこれを中断させ、それだけでなく、この事実を隠蔽し、逆に海水注入を自身の英断であるというでっち上げを行い、国民に嘘をついたとの事実を摘示するものであり、行政府の長である内閣総理大臣として陣頭指揮をとっていた控訴人の社会的評価を低下させるものである。

 

(被控訴人の主張)

 

ア 本件記事の摘示事実について

 本件記事は、福島第一原発の問題について、控訴人の振る舞いに起因して海水注入が中断されたこと及び控訴人の側近が海水注入が中断されたことを「試験注入」とごまかし、福島第一原発への海水注入が控訴人の指示に基づくものであるという嘘を流布したことについて、控訴人の政治的責任を追及する趣旨のものである。このことは、「菅総理の海水注入指示はでっち上げ上との見出しに続けて、リード部分で「福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。」と記述していることからも明らかである。

 そして、本件記事が摘示する事実は、①3月12日の福島第一原発への海水注入が控訴人の指示に基づくものであるという控訴人側近の発表が虚偽であったこと、②東京電力は同日午後7時4分に福島第一原発に海水注入を開始したこと、③東京電力は、海水注入と同時に、官邸にその旨を報告したこと、④控訴人が、「俺は聞いていない!」と激怒したこと、⑤官邸から東京電力への電話により、午後7時25分海水注入が中断されたこと、⑥実務者、識者が控訴人を説得したため、午後8時20分に海水注入が再開されたこと、⑦控訴人側近は、午後7時4分に開始された海水注入を「試験注入」と称して、午後7時25分に海水注入が中断されたことをごまかし、福島第一原発への海水注入は控訴人の指示に基づくものであるという嘘を新聞、テレピ等のマスコミに発表したことであり、それ以外の部分は、被控訴人の意見ないし論評を表明したものである。

 以下、控訴人の分類に沿って反論する。

 

(ア)摘示事実1に関して


 本件記事前段は、控訴人が海水注入の停止を指示した事実を摘示したものではなく、人の行動が原因となって官邸から東京電力に対して海水注入中断の指示が入った事実を前提として、このような事態を招いた責任が内閣総理大臣である控訴人にあるという趣旨の論評を表明したものである。

 本件記事は、本文において「12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。実務者、識者の説得で20時20分注入再会。」と摘示するところ、これは、開始されていた海水注入に対し、控訴人が激怒したことを受け、官邸から東原電力に電話が入り海水注入が中断されたという事実を指摘するものであって、控訴人が自ら中断を指示したという事実ではなく、控訴人の言動をに起因して海水注人が中断されたという事実を摘示するものである。そして、本件記事本文の「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。」との記載は、前記の控訴人の言動に対する批判としての意見ないし論評の表明である。

(イ)摘示事実2に関して

 

 本件記事後段の記載は、控訴人の側近が当初の海水注入を一試験注入員
と称し、海水注入が中断したことをごまかした事実皮び海水注入の指示ー
控訴人によてなされたとの誤った内容公表していた事実を前提と一
して、側近の行動も含めて官邸の最高責任者として控訴人が責任を負う
、べきであるという趣旨の論評の表明である。


イ 控訴人の社会的評価の低下について


 (ア) 本件記事を掲載した本件メールマガジンの配信前に、テレビの報道番組において本件記事と同内容の報道がされており、同報道によって既に控訴人の社会的評価が低下していたというべきであるから、本件記事によって控訴人の社会的評価が低下したとはいえない。

 (イ) 本件記事が掲載された直後、吉田所長の判断によって実際には海水注入は中断しなかったという事実が広く公開された。そうすると、読者は、同事実を前提として本件記事の内容を理解するのであるから、海水注入が中断したということに関して、控訴人の社会的評価が低下することはない。

 (ウ) 本件記事は、対立政党の党首であり時の内閣総理大臣に対する野党議員からの政治的意見の表明である。国会議員は自由かっ達な議論を行うことが期待され.そのため院内における発言等については責任を問われないという憲法上の保障がある。本件事故は、原子炉のメルトダウンを招きかねない国民の生命身体財産に直結する重大な事故であり、控訴人の行政能力は国民最大の関心事であった。このような中で政権を厳しくを監視するには野党の国会議員において政権の統治行為に少しでも疑念があれば追及する態度が肝腎であり、一から百まで裏取りをしてからの指摘は事実上無理である。しかも、原子力災害の対応は一刻を争うものであるから、事実関係を確認する時間にも制約がある。本件記事は、このような状況の下でメールマガジンの記事として配信されたものであり、読者もそのような状況下での記事であることを承知してこれを読むのであるから、政権と対立する野党の国会議員の発言を報道機関の報道と同様にそのまま全てが真実であると信じることはなく、本件記事が端緒となって国会等において政治的議論が交わされ.真実が見えてくることを期待しているのである。したがって、本件記事は直ちに控訴人の社会的信用を低下させるものではない。


(2)真実性又は相当性の抗弁の成否(争点2)

 

(被控訴人の主張)

 

 ア 本件記事は、世界中から注目された本件事故に対する政府の対応について、野党の国会議員の職責として公表したものであるから、被控訴人による本件記事の公表は、公共の利害に係る事実に関し、公益を図る目的でされたことは明らがである。
 また、後記イないし工のとおり、本件記事が摘示する事実及び意見ないし論評の前提となっている事実は、その重要部分について、いずれも真実であるか又は被控訴人において真実であると信じたことについて相当の理由があるから、本件記事について不法行為は成立しない。
 なお、控訴人は、本件記事の摘示事実がすべて真実性の証明の対象となる重要な部分に当たるかのような主張をするが失当である。表現の自由は国民の政治参加に不可欠の権利であり、公共的な争点に関する国民の間における討論は抑制されてはならない。公共的な争点に関する討論の中でも、公権力の行使に関与する公務員や政治家の職務行為に関する討論や批判については、国民の公権力チェックという観点からよりいっそう厚く保護される必要があり、真実性立証の対象となる摘示事実の重要な部分について、より一層慎重かつ限定的に判断されなければならない。公務員や政治家の職務行為に関する記事における摘示事実の重要な部分とは、一般読者の普通の注意と読み方を基準に読み取られる当該記事の趣旨に鑑みて、事の中核的要素に限定されると解すべきである。

イ 本件記事の重要な部分について

 (ア)摘示事実1について
 摘示事実1の重要な部分は、控訴人に東京電力が開始した海水注入を中断させかねない振る舞いがあり、それにより海水注入を中断しかねない事態が生じたことである。
 摘示事実1は、官邸から東京電力に対する働きかけにより海水注入が中断されたことについて、内閣総理大臣であった控訴人の責任を追及するものであるから、官邸から東京電力に海水注入中断を指示する旨の電話をせざるを得ないような控訴人の振る舞いがあったということは、本件記事の中核的要素であるが、その振る舞いの中で控訴人が「俺は聞いていない」と発言したかどうかは些末な事柄であり、中核的要素ではない。また、海水注入を中断させかねない振る舞いの存在そのものが本件記事の中核的要素であって、控訴人がそのような振る舞いをするに至った縁由(控訴人が海水注入の報告を聞いたかどうか)は中核的要素ではない。さらに、控訴人の政治的責任を追及するという本件記事の趣旨からすれば、海水注入を中断させかねない事態が生じたことこそが本件記事の中核的要素であって、現に海水注入が中断したかどうかは中核的要素ではない。


 (イ)摘示事実2について
 摘示事実2は、控訴人の側近の不適切な行動について、控訴人の管理監督上の責任を追及するものであるから、その重要な部分は、控訴人の側近が、誰もが中断したと信じた海水注入を「試験注入」とごまかし、海水注入は控訴人の指示に基づいて開始されたという嘘を流布したことが重要な部分に当たる。

 

ウ 真実性について


 (ア)摘示事実1について
 官邸において本件会議が開かれ海水注入に関する検討がされた際、控訴人は、その場にいた者が誰も海水注入の実施に異論を唱えていなかったにもかかわらず、ただ一人、海水注入について、「再臨界の可能性はないのか」、「海水を入れると再臨界するという話があるじゃないか、君らは水素爆発はないと言っていたじゃないか、それが再臨界はないって言えるのか。そのへんの整理をもう一度しろ」、「わかっているのか、塩が入っているんだぞ、その影響は考えたのか」などと喚きだし、激怒し、海水注入に再臨界の危険性があるとの強い懸念を示し、本件会議を中断して関係者らに海水注入について再検討するよう指示したのであるから、官邸から東京電力に対して海水注入の中断を指示する旨の電話をせざるを得ないような控訴人の言動があったことは、真実である。
 そして、これを受け,官邸において本件会議に参加していた武黒フェローは、官邸から東京電力本店に設けられた対策本部(以下「本店対策本部」という。)及び福島第一原発の吉田所長に電話をかけ、既に1号機に海水注入を開始している旨述べた吉田所長に対し,.「おいおい、やってんのか、止めろ」、「おまえ、うるせえ、官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」等と、海水注入の中断を指示したのであるから、控訴人の上記言動に起因して、東京電力は会社として海水注入を中断せざるを得ないと判断し、吉田所長に対して海水注入中断を指示する旨の電話をしたことも真実である。


 (イ)摘示事実2について


 控訴人を本部長とする原子力災害対策本部は,海江田大臣が3月12日午後5時55分頃,官邸にいた武黒フェローに対し口頭で海水注入を命じる措置命令を発し、午後7時4分に海水注入を開始したという真実を隠し、官邸のウエプサイトを通じ、同日午後6時控訴人の指示により海水注入が開始されたという嘘を流布した。
 したがって、控訴人の側近が控訴人の指示により海水注入が開始されたという嘘を流布したことは真実である。
 また、海江田大臣は、5月2日の参議院予算委員会において、3月12日午後7時4分に1号機の海水注入試験を開始したが、午後7時25分にこれを停止し、午後8時20分にホウ酸を混ぜた海水注入を開始した旨答弁しており、海水注入中断という事実は真実ではなかったとしても、控訴人の側近が、海水注入が中断されたとの認識の下に、当初の海水注入を「試験注入」とごまかして公表したことは、真実である。

 

工 相当性について

 

 (ア) 摘示事実1について
 仮に摘示事実1の重要な部分が真実でないとしても、被控訴人は、本件記事の控訴人の言動に関する記述は当時の官邸にいた者の話や新聞報道等から真実であると判断したものであり、これを真奨と信じるにつき相当の理由があった。
 また、後に明らかになったとおり、実際には、現場の吉田所長の判断により海水注入は中断されなかったが、当時は広く海水注入が中断されたとの事実が報道されており、海水注入が継続していたことは福島第一原発にいた一部の者しか知らなかった事実であるから、海水注入が中断した事実を真実であると信じたことにも相当の理由がある。


 (イ) 摘示事実2について
 仮に摘示事実2の重要な部分が真実でないとしても、被控訴人は、前記(ア)同様、当時官邸にいた者の話や新聞報道等から真実であると判断したものであり、これを真実と信じるにつき相当の理由があった。


(控訴人の主張)


ア 被控訴人の主張は争う。本件記事の摘示事実は,重要な部分においていずれも真実ではなく、被控訴人がこれを真実であると信するにつき相当の理由もない。


イ 本件記事の重要な部分について
 本件記事は,「事実は次のとおりです。.」との記載に続けて、①東京電力は、3月12日午後7時4分に海水注入を開始したこと、②東京電力は、ほぼ同じ頃、海水注入開始の事実を官邸に報告したこと、③この報告を聞いた控訴人が「俺は聞いていない!」と激怒したこと、④官邸から東京電力への電話で、午後7時25分、海水注入は中断されたこと、⑤実務者、識者が控訴人を説得した結果、午後8時20分に注入が再開されたこと、⑥やっと始まった海水注入を止めたのは控訴人であったこと、⑦この事実を糊塗するため、控訴人の側近は、最初の注入を「試験注入」として、海水注入を止めてしまったことをごまかしたことが記載され、さらにその後に「これが真実です。」と記載されている。前記①ないし⑦の事実は、いずれも本件記事の重要な部分に当たり、真実性の立証の対象となる。被控訴人は、摘示事実1の重要な部分は、控訴人に東京電力が開始した海水注入を中断させかねない振る舞いがあり、それにより海水注入を中断しかねない事態が生じたことである旨主張するが、本件記事には「海水注入を中断させかねない振る舞い」及び「海水注入を中断しかねない事態が生じたこと」などという、表現は存在しないし、これと同視される表現もない。本件記事に書かれていない事柄が重要な部分になるはずがない。「中断させかねない振る舞い」があったことが証明されたからといって、本件記事にいう「海水注入を止めた」との事実が証明されたことにはならない。

 また,本件記事は、その内容に照らすと、控訴人が既に始まった海水注入に対し、理不尽な怒りをぶつけてこれを止めさせたとの趣旨と理解すべきであるから、控訴人が海水注入の事実を聞いた上で「俺は聞いていない」と激怒したという事実も、重要な部分に当たる。
 さらに、本件記事は,福島第一原発の危機的状況に際して、海水注入が中断されたことについて控訴人を批判する内容であるから、実際に海水注入が中断されたことも重要な部分に当たる。


ウ 真実性について
 (ア)摘示事実1について

  a 本件会議は、3月12日の午後6時頃から20分程度行われたものであるから、そもそも本件会議の時点では海水注入は開始しておらず、控訴人は、3月12日午後7時4分に海水注入が開始した事実も聞かされていなかったから、控訴人が「俺は聞いていない!」と激怒して海水注入を中断させることはあり得ない。

 本件記事は、海水注入が始まった午後7時4分より後に、東京電力が官邸にこの事実を報告したところ,控訴人が「俺は聞いていない」と激怒したため、官邸から東京電力に電話がかけられ,海水注入が中止されたとして、これを問題とするものである。したがって、摘示事実1のうちの「控訴人が「俺は聞いていない」と激怒した」という事実と、海水注入開始前の午後6時からの本件会議における控訴人の発言の事実とは、海水注入開始の前か後か、その発言の際控訴人は海水注入の事実を知らされていたか否か、海水注入について消極的な理由は何かの3点で、全く別の事実であり、後者の事実が証明されても、前者の事実が証明されたことにはならない。
 さらに、本件会議では、淡水が切れたら海水を注入するということが当然の前提とされており、控訴人も同様の認識を有していた。東京電力の職員から海水注入の準備が整うまでに1時間半ほどかかるとの説明がされたため、控訴人は,斑目委員長を始めとする原子力安全委員会保安院,東京電力の職員らに対し、海水注入の準備が整うまでの間に海水注入に伴う塩による腐食の問題を検討するように言ったにすぎない。再臨界の問題は,これとは別に本件会議において斑目委員長が再臨界の可能性があるとの趣旨を述べたため、上記検討と併せて再臨界の問題についても検討することを求めたものであり、控訴人は海水注入に反対する趣旨ではなかった。同席者の中には、控訴人の質問が海水注入との関係でなされたと誤解した者がいたかもしれないが、それは原子力ないし理系の知識を有していない故の誤解である。

 したがって、控訴人が海水注入に異論を唱えたり、ましてや海水注入の事実を聞いて激怒したりこれを中断させようとしたという事実はない。

 また、東京電力による海水注入の開始は午後7時4分であり、午後8時20分に開始されたというのも事実に反し、午後7時4分に開始された海水注入はその後中断されることもなかったから、この点も事実に反する。


  b 本件記事は「官邸からの電話」によって海水注入が中断されたと記載しているところ、これは控訴人の支配下にある者からの指示すなわち控訴人の指示と同視できるもののみが該当すると.いうべきである。実際に福島第一原発に電話をした武黒フェローは、東京電力の従業員であって、官邸の職員ではないから、武黒フェローの電話をもって、控訴人からの指示と同視することはできない。
 武黒フェローは、官邸内にいた政府関係者に海水注入が開始されている事実を伝えないまま、自身の判断によって吉田所長等に海水注入の中断を指示していたものであって、武黒フェロ一の電話について控訴人が批判されるべき理由はない。
  c 本件記事のうち「実務者、識者の説得で」海水注入を再開したとの部分についても、実務者、識者が控訴人を説得した事実もないし、説得に基づいて海水注入が再開されたという事実もない。

  d したがって、摘示事実1は、その重要な部分において真実であるということはできない。

 

 (イ)摘示事実2について

 客観的事実として午後7時4分に開始された海水注入が午後7時25分に止められたことはなかったのであり、また、控訴人は、午後7時4分に海水注入が開始されたことを知らず、海水注入を止めた事実もない。したがって、海水注入中断の事実を糊塗しようと考えたことはあり得ないし、控訴人の側近が「試験注入」として止めてしまったことをごまかしたという事実もない。

 また、「試験注入」という用語は、官邸とは無関係に、海水注入の中断を決めた東京電力が中断の事実を説明するために作ったものであり、東京電力の説明を受けた者がそのまま説明したにすぎないものであって、官邸の職員等控訴人の指揮下にある者らが「試験注入」という言葉を使ったわけではない。

 海水注入は1号機の冷却を図らねばならない当時の緊迫した状況の中では当然の対応策であり、海水注入をしないなどという選択はあり得なかったじゃら、そのような当然の対応をしたことを「英断」などという必要は皆無であった。

 したがって、摘示事実2は、その重要な部分において真実であるということはできない。


エ 相当性について
 被控訴人が情報提供を受けたと主張する政府関係者について、その属性や素性が明らかでないばかりか、反対尋問を経た証言もないのであるから、これを信用することはできない。また、報道等に基づく判断は、真実であると信じたことについて相当の理由があることの根拠とはならない。

 控訴人は、衆議院議員であり、元内閣総理大臣という地位にありながら、例えば国会の委員会で質問する、質問主意書を提出するなどといった事実確認のために当然行うべき手段を執っていない。何よりも、事実確認のために必須の要件である反対取材、すなわち控訴人本人に対する事実確認を全く行っていない。
 この程度の貧弱な事実確認で相当の理由があったと認めることはできない。

 

(3)本件記事を被控訴人の管理する本件サイトに掲載し続けたことが不法行為に当たるか(争点3)。


(控訴人の主張)

 

ア 被控訴人が本件記事を本件サイトにバンクナンバーとして掲載した後である5月27日、海水注入が中断した事実はないことが報道され、被控訴人は、同事実を前提とする摘示事実1及び2がいずれも事実ではないことを認識するに至った。


イ 新聞や雑誌等のメディアにおいては、名誉毀損となる記事が掲載された媒体が発行きれれば、後に事実ではないことが明らかになったとしても、これらの媒体の回収は極めて困難である。一方で、インターネットを利用した記事の場合、削除又は修正が容易であるにもかかわらず、広く全国、全世界で閲覧が可能であるという特殊性があることからすると、インターネットメディアを利用する者は、その特性に応じ、記事の誤りが判明した場合は当該記事を削除するなどして、それ以上名誉毀損による損害が継続、拡大しないよう防止すべき義務を条理上負っているというべきである。


ウ したがって、被控訴人が、本件記事の内容は真実でないと認識した5月27日以降も約4年間にわたって本件記事を掲載し続けたことは、上記義務に反し、不法行為を構成する。


(被控訴人の主張)


ア 本件記事は、被控訴人の運営する本件サイトにアクセスした上、メールマガジンバックナンバーのページにアクセスする必要があるから、公然と摘示しているとはいえない。


イ 本件記事の公表後、控訴人や当時の政府関係者は、国会における答弁等において本件記事の指摘する海水注入をめぐる経緯やその後の官邸の発表について説明を行っており、その内容は広く報道等されているところ、それらを併せて読む一般の読者においては、被控訴人の意見ないし論評が記載された本件記事を読んだとしても、上記控訴人らの反論を踏まえて理解するから、本件サイトにおいて本件記事の掲載を継続しても、これにより控訴人の社会的評価が低下するということはない。


ウ 表現の自由が民主主義を支える重要な人権として優越的地位にあること、本件記事は、当時の内閣総理大臣としての控訴人の言動について、野党の国会議員である被控訴人が批判を行ったものであることを考慮すれば、仮に本件記事を本件メールマガジンによって配信した後、本件記事に真実でない部分が含まれていることが明らかになったとしても、記事の掲載の継続が違法となるのは、①記事の内容が真実ではないことが明白になり、②これによって控訴人に重大な名誉毀損を生じさせ、③表現の自由との関係を考慮しても当該記事をそのまま掲載し続けることが社会的な許容の限度を超えると判断される場合に、限られると解するべきである。
 そうすると、本件は、①海水注入の中断がなかったという記事の一部分についてのみ真実でないことが明らかになったにすぎず、②本件記事の大部分は真実である上、一般人においても、対立野党の議員である被控訴人において内閣総理大臣である控訴人を批判する内容であることは当然に理解しており、海水注入の中断がなかったという事実も広く知れ渡ることとなったのであるから、これらを前提として記事の内容を理解することから、控訴人にもたらす不利益は大きくない。さらに、③内閣総理大臣の言動に対する批判的言論が事後的にでも名誉毀損として違法となるのであれば、民主主義の根幹たる表現活動が萎縮する結果となるから、表現の自由との関係で影響は大きく、社会的許容限度を超えるとはいえないというべきである。


(4)控訴人に生じた損害(争点4)

 

控訴人の主張)


 本件記事の内容が明白に虚偽であること、それにもがかわらず本件記事の内容が全国紙で大々的に報じられたこと、本件記事は約4年間にわたって掲載され、控訴人からの再三の削除要求にも被控訴人が応じていないこと、本件記事は選挙期間中も閲覧可能な状態に置かれていたものであること、被控訴人は、控訴人及び控訴人が所属していた民主党(当時)を攻撃する意図から本件記事を掲載したメールマガジンを配信し、本件サイトでの掲載を継続したものであること等を考慮すると、控訴人に生じた精神的損害は,金銭に換算すると1000万円は下らない。
 また、控訴人は本件訴訟を弁護士に依頼しているところ,その費用としては100万円が相当である。


(被控訴人の主張)

 

 争う。

 

(5)名誉回復措置としての謝罪広告の要否(争点5)


控訴人の主張)

 

 控訴人は、行政府の長である内閣総理大臣として、予断を許さない本件事故の対応のため陣頭指揮に当たっていたところ、本件記事は,控訴人が極めて利己的な立場から激怒していったん開始された1号機への海水注入を止めさせようとした上、その事実を隠蔽し,逆に海水注入を自身の英断であるというでっちあげを行い国民に嘘をついていると指摘するものであって、控訴人の名誉を著しく毀損するものであるから、名誉回復のための措置として、原判決別紙謝罪記事目録記載の謝罪広告の掲載を求める。


(被控訴人の主張)

 

 争う。


第3 当裁判所の判断

1 当裁判所も、控訴人の請求はいずれも理由がないと判断する。その理由は、以下に述べるとおりである。

 

2 認定事実


 前記前提事実(前記第2の1)及び後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない


 (1)被控訴人によるメールマガジンの配信等


 平成23年5月当時、被控訴人は,自身の政治活動を紹介する本件サイトを開設し、本件サイトを介して登録した一般の読者に対し、自身の政治的意見等を記事として記載したメールマガジンを配信しており、そのバックナンバーを本件サイト上で公開していた(甲6)


 (2)福島第一原発における本件事故発生後の経緯


 ア 3月11日午後2時46分、本件地震が発生しその後襲来した津波により、福島第一原発の1号機ないし4号機は全交流電源喪失の状態となった。このため、東京電力は、同日午後3時42分頃、保安院に対し、原災法10条1項所定の事象(全交流電源喪失)が発生したとして、原災法10条に基づく通報を行った。さらに、東京電力は、1号機及び2号機に関して、非常用炉心冷却装置による原子炉への注水ができないという原災法15条1項の特定事象が発生したとして、同日午後4時45分頃、保安院に対し、その旨の報告を行った。

 控訴人は、午後5時42分頃、官邸において、海江田大臣から、上記東京電力からの通報等について報告を受け、原子力緊急事態宣言をすることについて了解を求められたことから、同日午後7時03分、原子力緊急事態宣言をし、控訴人を本部長、海江田大臣を副本部長とする原子力災害対策本部を設置した。

 また、控訴人は、福島第一原発の状況を十分に把握できていないことから、その現場対応の責任者である吉田所長から福島第一原発の状況等を直接確認するとともに、併せて被災地の地震津波による被害状況をも確認する必要があると考え、3月12日午前7時11分斑目委員長らとともに福島第一原発に赴いて吉田所長と面会し、現地の状況を視察した。(甲19、乙1,2,32,33)

 

 イ 吉田所長は、本件地震後に1号機及び2号機の非常用炉心冷却装置による注水ができなくなっている可能性があると判明した後、防火水槽内の淡水を使用して原子炉を冷却する措置を講じていたが、3月12日正午頃、淡水が枯渇した場合には3号機ターピン建屋前に津波で溜まっていた海水を使用して1号機の原子炉容器内に海水を注入することを決め、消防ホースを準備するように職員らに指示し、テレビ会議システムを通じて吉田所長と連絡を取り合っていた本店対策本部も、これを了承した(甲7、乙3)。


 ウ 3月12日午後2時53分頃、防火水槽内の淡水が枯渇したため、東京電力は、同日午後3時18分、連絡書類の参考情報として「今後、準備が整い次第、消火系にて海水を炉内に注入する予定」と記載したファクシミリを、官邸内の内閣情報集約センター及び保安院に送信した(乙3,10)。

 

 エ 同日午後3時36分頃,、1号機の原子炉建屋において水素爆発が起きたため、1号機原子炉容器内に海水を注入するための準備作業は中断した(甲7、乙10)。

 

(3)本件会議の状況とその後の経緯

 

 ア 3月12日午後5時55分頃、海江田大臣は、官邸にいた武黒フェローに対し、1号機に海水注入をするように口頭で指示し、同時に保安院に対して、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(以下「原子炉規制法」という。)64条3項に基づく措置命令の文書発出を準備するよう指示した。武黒フェローは、同日午後6時5分頃、海江田大臣の前記口頭指示を、本店対策本部に伝達した。(乙2,3,10,27)


 イ 官邸においては、本件事故発生後、重要な局面については原子力災害対策本部の本部長てある控訴人の判断を経た上で動くというある程度の合意ができていたことから、海江田大臣は、1号機への海水注入について控訴人に報告し、了解を得る必要があると考えた。そこで、3月12日午後6時0分頃から同20分頃まで、控訴人のもとに海江田大臣、細野補佐官、斑目委員長、保安院の職員及び武黒フェローらが参集して、本件会議が開摧され、1号機への海水注入等に関する検討がされた。

 武黒フェローは,本件会議において、控訴人に対し、淡水が枯渇したため、1号機に海水を注入する予定であり、その準備に約1時間半ほど時間がかかるとの説明をした。.これに対し、控訴人は、出席者に対し、海水注入の準備状況や海水による原子炉の腐食の可能性等について質間し、出席者がこれに回答した。このやりとりの中で、控訴人は、海水注入による再臨界可能性について質し、これに対し、斑目委員長が再臨界の可能性についてゼロではないという趣旨の回答をした。控訴人は,この回答を受けて、出席者に対し、再臨界の危険性等について再度検討するように求め、本件会議は散会となった。しかし、物理的には海水の方が原子炉を臨界にしにくいものであり、注入する淡水を海水に変えることによって再臨界の可能性が高くなるものではなかった。

 本件会議後の同日午後6時25分、福島第一原発の周囲半径20キロメートル圏内の住民に対し、退避を指示する旨の内閣総理大臣指示がされたが、これは、本件会議に出席していた細野補佐官が、斑目委員長の再臨界の可能性があるとの発言を聞いて問題提起をしたため、避難指示の範囲を半径10キロメートルから半径20キロメートルに広げたものであった。(甲19,乙1,2,10,11,15,27,32ないし34)

 

 ウ 吉田所長は、3月12日午後7時4分、海水注入の準備が整ったことから1号機の原子炉容器内への海水注入作業を開始した。しかし、官邸にいた武黒フェローは,このことを知らず、本件会議後の午後7時25分頃、注入開始時刻の目安を把握するため福島第一原発の吉田所長に電話をかけた際に、同人から既に海水注入を開始していることを知らされた。武黒フェローは、これに驚き、吉田所長に対し、海水注入を停止するよう求め、納得しない吉田所長に対し、「おまえ、うるせえ、官邸が、もうグジグジ言ってんだよ。」などと声を上げた。

 武黒フェローから連絡を受けた東京電力の本店対策本部も、本件会議での検討の状況を踏まえて、海水注入の中断を決定し、吉田所長に対して海水注入の停止を指示したことから、吉田所長は,表向きこれを受け入れる旨返事をしたが、発電所内の担当暑には海水注入を止めないよ.うに指示したため、実際には海水注入が中断されることはなかった。(甲7,13,乙1,3,5,15,35)


 工 斑目委員長、保安院の職員及び武黒フェローらは、3月12日午後7時40分頃、控訴人に対し、本件会議において示された検討事項について検討結果を報告したその際、武黒フェローは、午後7時4分に1号機の原子炉への海水注入が開始された事実を控訴人や海江田大臣には伝えず、控訴人は、そのことを知らないまま、午後7時55分,海江田大臣に対し、海水注入を指示した。次いで、午後8時5分、海水注入を命ずる海江田大臣名の命令文書が作成され、武黒フェローから本店対策本部に対し海水注入の許可が得られた旨の報告がされた。なお,本店対策本部と吉田所長との間では、午後7時4分に開始した海水注入は「試験注入」として位置付け、これを一旦停止し、午後8時20分から本格的に海水注入を開始するという内容て保安院に報告をすることとした。
(甲7、13,乙10)


(4)本件記事公表前の海水注入に関する政府の発表等

 ア 3月12日午後8時50分頃、官邸ウェブの本件事故に関する政府の対応を時系列で説明したページにおいて、「18:00 総理大臣指示」「福島第一原発について、真水による処理はあきらめ海水を使え」との記載がされ、控訴人も、その頃、自らマスコミ取材に応じ、同日午後8時20分から1号機に海水を注入する異例の措置を始めた旨を発表した(前提事実)。


 イ 海江田大臣は、5月2日、参議院予算委員会における質疑において、3月12日午後7時4分に、東京電力が1号機に対する「海水注入試験」を開始し、同日午後7時25分に停止したこと、「総理からの本格的な注水をやれ」との指示を受け、同日午後8時20分、1号機に対し、消火系ラインを使用して海水注入を開始し、海水には水素爆発を防ぐためホウ酸を混ぜたことなどを答弁した(乙27)。


 ウ 東京電力は、5月16日、自社のウェブサイトにおいて、3月12日午後7時4分に1号機において海水による注水を開始したが、午後7時25分にこれを停止し、午後8時20分に海水及びホウ酸による注水を開始した旨を公表した(乙21)。


(5)海水注入の中断に関するマスコミ報道

 

 TBSテレピの報道番組「Nスタ」は、5月20日午後5時48分頃から同50分頃にかけて1号機の海水注入の問題をニュースとして取り上げ、政府関係者らの話として、「東電が海水注入の開始を総理官邸に報告したところ、官邸側は「事前の相談が無かった」と東電の対応を批判。その上で海水注入を直ちに中止する.よう東電に指示し、その結果午後7時25分、海水注入が中止されました。そしてその40分後の8時5分に官邸側から海水注入を再開するよう再度連絡があり、8時20分に注入が再開されたということです。」とのナレーションを流した。なお,同旨のニュースは、同日午後11時34分頃ないし同37分頃のTBSテレピの報道番組「ニュース23クロス」及び5月21日午前0時15分ないし同16分のフジテレピの報道番組「ニュースJAPAN」においても放送された(乙24ないし26)

 

(6)本件記事の発信

 

 被控訴人は、5月20日午後7時頃、本件記事が掲載された本件メールマガジンを配信した(前提事実)。


(7)政府及び東京電力による海水注入を巡る事実関係の訂正

 

 ア 5月21日、政府・東京電力統合対策室は、「3/12の東京電力福島第一原発1号機への海水注入に関する事実関係」と題するべーパーにより、3月12日の事実関係について公表した。同ペーパーには、同日午後6時ないし同6時20分頃、本件会議において、斑目委員長から「再臨界の危険性がある」との意見が出されたので、控訴人の指示により、原子力安全委員会保安院等がホウ酸投入などそれを防ぐ方法を含め検討することとなったこと、同日午後7時4分に東京電力が海水(ホウ酸なし)試験注入
を開始し、同日午後7時25分に試験注入を停止したこと、東京電力の海水試験注入開始・停止は官邸には報告されていながったことが記載されていた。(乙8、23)


イ 5月22日、政府・東京電力統合対策室は、「3/12の東京電力福島第一原発1号機への海水注入に関する事実関係(訂正版)」と題するペーパーにより、3月12日の事実関係について改めて公表した。同ペーパーにおいては、本件会議における斑目委員長の発言が訂正され、同委員長は再臨界の可能性がある旨の意見を述べたのではなく、控訴人から再臨界の可能性について問われた斑目委員長が可能性はゼロではないとの趣旨の回答をしたものであるとされた。(乙3、9)


ウ 5月26日、東京電力は、1号機への海水注入に関する時系列を訂正する報道発表を行った。東京電力は、同報道発表において、3月12日午後7時25分頃、同社の官邸派遣者の状況判断として「官邸では海水注入について首相の了解が得られていない」との連絡が本店対策本部及び福島第1原発にあり、本店対策本部と福島第一原発との協議の結果、いったん海水注入を中断することとしたが、「事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続がなによりも重要」との吉田所長の判断により、実際には海水注入は停止されず、継続していた旨の事実を公表した。(甲2,乙7)

 

エ 6月10日、政府・東京電力統合対策室は、「3/12の東京電力福島第一原発1号機への海水注入に関する事実関係(再訂正版)と題するペーパーにより、3月12日の事実関係について再度訂正して公表した。同ペーパーにおいては、同日午後5時55分、海江田大臣から東京電力に対して1号機原子炉容器内を海水で満たすよう、口頭で原子炉規制法64条3項の措置命令を行うとともに、保安院に対して命令文書を発出するように指示したこと、同日午後6時0分ないし同20分頃、本件会議において、東京電力の関係者から海水注入準備のためには時間がかかる(1.5時間程度)という説明があったことから、海水注入による冷却の実施について、控訴人の指示により、原子力安全委員会保安院東京電力等が検討(控訴人から再臨界の可能性について問われた斑目委員長が可能性はゼロではないとの趣旨の回答をしたので、ホウ酸投入などそれを防ぐ方法を含め検討)することとなったこと、同日午後7時25分頃、東京電力が、本店・発電所間の協議の結果、いったん海水注入を中断することとしたが、吉田所長の判断(事故の進展を防止するためには、原子炉への注水の継続が何よりも重要)で注入を継続したこと等が記載されていた。(乙10)

 

(8)本件会議における控訴人の言動についての関係者の認識


ア 細野補佐官は、5月21日に実施された記者会見において、本件会議において海永注入するに際しての安全性を確認するよう控訴人から原子力安全委員会保安院に指示がされたこと、控訴人からは特に再臨界の危険性はないのかと確認がされ、それを受けてホウ酸を投入するなど再臨界を防く方法を検討すべきだという話になり、本件会議は1時間ないし1時間半休憩となったこと、東京電力からは海水注入まで1時間ないし1時間半はかかるとの説明があったため、その間しっかり検討するようにとの指示があったこと、官邸としては当初の海水注入の事実を把握していなかったこと、東京電力の担当者からは保安院に口頭で連絡した旨報告されているが、保安院には連絡を受けたという記録は残っていないこと、3月12日午後7時40分に控訴人への説明がされ、その説明を受けて午後7時55分に控訴人が海水注入の指示をし、午後8時5分に海江田大臣から海水注入の命令が出されたという時系列であることなどを説明した(乙8、23)。


イ 控訴は、5月23日、衆議院東日本大震災復興特別委員会の質疑において,本件会議の位置付け及び内容について問われ、「この時点では、それまでの状況を踏まえて、海水注入に当たってどのようなことを考えなければならないか、そういった議論がありまして、私の方からいわゆる再臨界という課題も、私にもありましたし、その場の議論の中でも出ておりましたので、そういうことを含めて、海水注入をするに当たってどのようにすべきか、そのことの検討を、(中略)それをその皆さんにお願いする。」、「その時点では、東電の担当者は、海水注入はこれから準備をしても1時間半程度は準備にかかりそうなのでという御指摘もありましたので、18時の段階で、それではそういったことも含めた検討をお願いする、そういうことを私の方から申し上げました。」と述べた(甲11)。


ウ 武黒フェローは、平成24年3月28日、国会に設置された東京電力福ー島原子力発電所事故調査委員会(以下「国会事故調」という。)の第8回委員会に参考人として出席し、本件会議の模様について、「総理からは、いろいろ御質問がございました。特に、海水を注入するということで再臨界の可能性がないかとかいうことも含めて、ボロンを入れなくていいのかとか、それから、海水というのが臨界に与える影響はどういうことなんだ、メカニズムというと大げさかもしれませんが、原理的なそういったことで
すとか、あとは,準備状況がどういうふうに整っているのかといったような御質問がいろいろとございました。」と述べた。また、本件会議後、武黒フェローが、吉田所長に対して海水注入を中断するよう指示したことについて、いつ海水注入ができるかということは、今後控訴人に早く判断してもらう上で非常に必要なことだと思ったので、吉田所長に連絡をとったところ、吉田所長から、既に海水注入をしているという話があったこと、武黒フェローとしては、全体の統括をしている控訴に対する説明が終わっていない段階で現場が先行して海水注入を行っていることが、将来の妨げになっても困るので、一旦注水を止めて、控訴人の了解を得た後にすぐ再開するということで進めるべきと考えた旨を述べた。(乙15)


エ 東京電力の武藤栄締役副社長原子力・立地本部長は、5月31日、衆議院東日本大震災復興特別委員会に参考人として出席し、3月12日の状況について、緊急時体制の本部長である控訴人のもと、官邸の中で原子力安全委員会の助言などを得ながら検討が続いている状態だということが理解され、控訴人の了解を得ずにその後注水を継続するということが難しいということが分かったこと、東京電力から官邸に派遣されていた者が、早期に注入を開始するという交渉、説明をしていたということで、短期間の中断となるだろうという見通しがあったことから、東京電力においてやむを得ず海水注入の中断を判断したこと官邸に派遣された者の話では、官邸の中では海水注入の実施のような具体的な施策についても控訴人が判断するという感じがあり、したがって、控訴人の判断がない中でそれを実施することはできないという雰囲気、空気があったと聞いていることを述べた(乙3)。


オ 海江田大臣は、平成24年2月8日、政府に設置された東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(以下「政府事故調」という。)の聴取に応じ、本件会議の模様について、海水注入をするように東京電力に指示したことを控訴人に報告したところ,「再臨界になったらどうするのだという質問が出た」、「突然その再臨界の話になったから,斑目さんも、それにうまく答えられなかった」と述へた(乙33)。

 また、海江田大臣は,同年5月17日に開かれた国会事故調の第14回委員会に参考人として出席し、本件事故当時の状況を振り返り、海江田大臣は淡水が切れた場合には海水で冷やす必要があると考えていたこと、そのため、自身の判断により原子炉規制法64条3項に基づく口頭命令を出したこと、本件会議において、その旨控訴人に報告したところ、控訴人から「再臨界の可能性はないのか」と言われたこと、海江田大臣自身は、よもや淡水から海水に変えて再臨界ということがあろうなどとは思っていなかったが、その場にいた斑目委員長、保安院の者、あるいは武黒フェローが色々話をしていたと思われることを述べるとともに、武黒フェローが吉田所長に電話をかけて海水注入を中断するよう指示したことについて、話を聞く側が内閣総理大臣の話を重く受け止めるということは、「万事にわたってそういうものだ」というふうに思ったことを述べた(乙2)。


カ 細野補佐官は、平成23年12月14日に行わた政府事故調の聴取において、本件会議の模様について、3月12日の6時頃に「海江田大臣が海水注入をしようということで入って、総理が再臨界の危険はないのかと言い出した」こと、これに対して「斑目委員長が、可能性はゼロではない」との趣旨の回答をしたこと、細野補佐官は真水がなくなったらすぐ海水だというのは当たり前だと思っていたので、海江田大臣が決めたらもうそれで海水注入がされるだろうと思っていたのに、控訴人が「再臨界があるんじゃないか」ということを言い出し、専門家である斑目委員長があり得るというようなことを言ったことから、驚き、まずいなと思ったこと、控訴人は、相当直截な表現で斑目委員長に再臨界は本当にないのか」と聞き、多分、斑目委員長はその気迫に押され、「ありません」とは言えなかったと思われることを述べた(乙32)


キ 貞森恵佑内閣総理大臣秘書官(以下「貞森秘書官」という。)は、平成23年12月21日の政府事故調の聴取において、本件会議の模様について、海水注入について控訴人の確認を取るため報告に行ったところ、控訴人が「海水を入れるということは当然塩が入っているわけなので、そこは本当に大丈夫なのか」という点を質問したこと、それに対して斑目委員長が「海水なので塩が入っていますから、余り長く入れていると腐食するかもしれませんし、塩が濃くなって詰まったりとか、塩が入ってくることによる問題がありますが、今は緊急事態なのでやらなければいけない」という説明をしたところ、控訴人が「再臨界の可能性はないのか」という質問をしたこと、それに対し、斑目委員長が「可能性はあります」と述べた記億であること、そこで、危ないではないかという議論になって、控訴人から「だったら,その点は本当に大丈夫なのか」との指摘があり、再臨界の危険性について再整理をしようということになったことを述べた(乙34)。

 

3 争点1(本件記事の摘示事実は何か及び同記事は控訴人の社会的評価を低下させるものか否か。)について


(1) 本件記事の内容は,前記前提事実(第2の1(5))のとおりであり、これによれば、見出しは「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」であり、これに続くリード部分にも「福島第一原発問題で、菅総理の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げてある事が明らかになりました。」との記載があるところ、これは,前記2(4)認定のとおり、3月12日午後8時50分頃官邸ウェブサイトにおいて控訴人の海水注入の指示がされた旨が公表されたこと、控訴人自身もマスコミ取材に対して同日午後8時20分から1号機に海水を注入する異例の措置を始めた旨を発表したこと、5月2日の参議院予算委員会での海江田大臣の答弁において、総理からの指示を受けて3月12日午後8時20分に1号機への海水注入を開始したと説明したことなど、政府が控訴人の指示により1号機への海水注入が開始された旨の説明していることについて、「全くのでっち上げ」であると指摘し、これを最も問題視しているものと解される。そして、これに続けて、事実は次のとおりとして、いったん開始された海水注入が、控訴人の言動により中断し、その後再開されたという経緯を体言止めの4行の文章で簡潔に摘示し、これに続けて、実際は東京電力がマニュアルどおり淡水が切れた後海水を注入しようとして実行したが、やっと始まった海水注入を止めたのは控訴人であったと指摘し、この事実を糊塗するため、最初の注入を「試験注入」とし、海水注入を控訴人の英断によるものとの内容虚偽の報道発表がされたことを摘示した上で、その末尾において,「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」として、控訴人が海水注入を中断させたことを「間違った判断」であると評価し、控訴人はこの「間違った判断」と虚偽の報道発表について国民に謝罪し、直ちに内閣総理大臣を辞任すべきとの意見ないし論評を表明したものと認められる。

 

(2) 本件記事は、当時野竟の国会議員であった被控訴人が、自己の政治的主張を伝えるメールマガジンの記事として配信したものてあるところ、その内容は、前記(1)判示のとおりであって、公表された控訴人の「海水注入の指示」は「全くのでっち上げ」であり、海水注入に関する控訴人の「間違った判断」と虚偽の報道発表について控訴人の謝罪と辞任を求めるものであるから、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すれば、本件記事は内閣総理大臣としての控訴人の社会的評価を低下させるものということができる。


(3) 被控訴人は、本件記事の配信前にテレビ報道において本件記事と同内容の報道がされており、本件記事によって控訴人の社会的評価が低下したとはいえない旨主張する。

 しかしながら,前記2(5)、(6)認定のとおり、本件メールマガジンが配信されたのは5月20日午後7時頃であるが、その直前である同日午後5時48分頃に、テレビ局1社が2分間程度福島第一原発への海水注入の問題を取り上げて報道したというにすぎない状況であったから、本件メールマガンン配信当時において、本件記事の摘示した事実が広く国民に知れ渡っていたということはできず、そのような報道がされた事実があるからといって、本件記事が控訴人の社会的評価を低下させるものとの認定判断を左右するものではない。

 また、被控訴人は、本件記事が掲載された直後、実際には海水注入が中断していなかったという事実が広く知られることになったから、本件記事によって控訴人の社会的評価が低下することはなかった旨主張する。
 しかしながら、本件記事は、控訴人の海水注入の指示によって海水注入が開始されたとの報道発表がでっち上げであるとするものであるから、実際に海水注入の中断がなかったとしても、本件記事が控訴人の社会的評価を低下させるものであるとの認定判断を左右するものではない。

 さらに、被控訴人は、本件記事は、対立政党の党首であり時の内閣総理大臣である控訴人に対する野党議員の政治論争であり、また、原子力災害の対応は一刻を争い、事実関係を確認する時間にも制約があって、読者もそのような状況下で作成された記事であることを承知して報道機関の報道とは異なるものであることを前提に本件記事を読むのであるから、本件記事は直ちに控訴人の社会的評価を低下させるものではない旨主張する。
 しかしながら、ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、当該記事についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであるところ、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すれば、本件記事が控訴人の社会的評価を低下させると認められることは前示のとおりである。

 被控訴人の主張はいすれも採用することができない。

 

争点2(真実性又は相当性の抗弁の成否)について

 

(1) 公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合は、その意見ないし論評の表明により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その意見ないし論評の前提としている事実が主要の部分について真実の証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、上記行為は違法性を欠くものというべきであり、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の主要な点を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解される(最高裁昭和60年(オ)第1247号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。


(2) 前記3(1)判示のとおり、本件記事は、当時内閣総理大臣であった控訴人の本件事故への対応すなわち原子炉への海水注入に関して、海水注入に係る事実経過を摘示した上、控訴人に間違った判断があり、海水注入の指示に関して虚偽の報道発表がされていることを摘示して、これらを批判し、国民に対する謝罪と辞任を求めるものであるから、本件記事の公表は、公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図る目的にあるということができる。


(3) そこで、本件記事のうち,.控訴人の「間違った判断と嘘」について国民への謝罪と辞任を求めるという意見ないし論評の前提として摘示されている事実の主要な部分について、真実であることの証明があるといえるかについて検討する。

 前記2認定の事実によれば、3月12日、東京電力福島第一原発の1号機について淡水を使用して冷却する措置を講じていたが、その時点においては、原子炉を冷却することが最も重要な要請であったため、淡水が枯渇した場合にはすみやかに海水を注入する必要があり、その措置を採るとして、その旨官邸に連絡し、原子炉規制法に基づく措置命令の権限を有する海江田大臣はこれを了承して、午後6時5分東京電力に海水注入の指示が伝達されたこと、海江田大臣は1号機への海水注入について控訴人に報告し、その了解を得る必要があると考え、本件会議が開催されたが、注入する淡水を海水に変えることによって再臨界の可能性が高くなるものではないのに、控訴人は海水注入による再臨界の可能性について強い口調で質問しこれに答えた斑目委員長もその気迫に押されてその場で否定することができす、再臨界の可能性等について再度検討することとして本件会議は散会となり、本件会議に参加していた武黒フェローは、控訴人は海水注入了解しておらず、了解を得ないまま手続を進めることはできないと受け止めたこと、1号機については午後7時4分に海水注入が開始されており、本件会議に出席していた武
黒フェローは、午後7時25分頃吉田所長に電話をかけた際にそのことを知ったため、武黒フェローの判断により、官邸は海水注入を了承しておらず、控訴人に対する説明が終わっていない段階で現場が先行して海水注入を行うことが将来の妨げになっても困るとの意見を伝え、本店対策本部も中断を決断したこと、しかし、吉田所長はこれに従わず、海水注入は中断しなかったこと、その後、午後7時40分頃、斑目委員長、保安院の職員らが本件会議で示された検討事項について控訴人に報告し、控訴人は、午後7時55分、海江田大臣に対し海水注入を指示し、このことは、本店対策本部に伝えられたこと、東京電力は、午後7時4分の海水注入開始を試験注入の開始として位置付け、これを一旦停止し、午後8時20分から本格的に海水注入を開始するという内容の報告を保安院にしたこと、官邸ウェブサイトにおいては、午後8時50分頃、午後6時に「真水による処理はあきらめ海水を使え」との内閣総理大臣指示があった旨公表されるとともに、控訴人自身もマスコミ取材に応じて午後8時20分から1号機に海水を注入する異例の措置を始めた旨を公表したこと、海江田大臣は、5月2日の参議院予算委員会において、3月12日午後7時4分に「海水注入試験」を開始し、これを停止して、総理からの指示を受けて午後8時20分に海水注入を開始した旨答弁していること、以上の事実が認められるというべきである。


 そうすると、3月12日の時点において、1号機の原子炉を冷却することが最も重要な要請であり、淡水が枯渇した場合にはすみやかに海水を注入する必要があったことから、政府から海水注入の指示を受けた東京電力がその作業を進めていたところ,海水注入の判断について控訴人の了解を得ようとして開催された本件会議の席上において、控訴が、その場面では本来問題にする必要のなかった再臨界の可能性を強い口調で問題にしたことから、会議の参加者が控訴人は海水注入を了解していない受け止め、そのため、東京電力も開始した海水注入について中断する旨の誤った決断をしたというのであり、控訴が本件会議において内閣総理大臣としてのある判断を示し、その判断が東京電力による海水注入中断という誤った決断につながったという意味において控訴人の「間違った判断」があったと評価されるのはやむを得ないしたがって、控訴人の「間違った判断」があったとする意見・論評の前提となる事実については、その主要な部分について真実と認められるというべきである。


 さらに、その後,官邸及び控訴人は控訴人の指示により午後8時20分から海水注入が開始されたとの発表をしたのであるが、この発表は、前記認定に照らせば、1号機への海水注入については、東京電力がその措置を採ることを官邸に連絡し、海江田大臣はこれを了承して、午後6時5分頃東京電力に海水注入の指示が伝達され、午後7時4分に開始されていたという事実に反するものであって、事実に反する発表であったものというべきであり、海江田大臣の5月2日の予算委員会における説明も、前記認定に照らし事実に反するものであるから、海水注入の指示に関して虚偽の報道発表がされたとの事実の摘示についても、その主要な部分において真実と認められるというべきである。

 したがって、本件記事が、控訴人の「間違った判断と嘘」について国民への謝罪と任を求めるという意見・論評の表明の前提どして摘示する事実については、その主要な部分について真実性の証明があるというべきである。


(4) 控訴人は、本件記事に記載された事実のうち、本件記事に記載された事実のうち、海水注入の開始後に官邸へ報告があったこと、それについて控訴人が「俺は聞いていない」と激怒したこと、官邸から東京電力への電話で一旦開始された海水注入が中断したこと、実務者、識者の説得によって海水注入が再開したこと、海水注入を止めたのは控訴人であったことは、いずれも摘示された事実の重要な部分として、真実性の証明の対象となる旨主張する。

 しかし、本件記事が最も問題視している点は、前記3(1)判示のとおり、控訴人の指示により1号機への海水注入が開始された旨の虚偽の報道発表がされていることであり、本件記事はこれに加えて、控訴人が海水注入を中断させたことを「間違った判断」であると評価して、「間違った判断」と虚偽の報道発表について国民に謝罪し、内閣総理大臣を辞任すべきとの意見を表明したものであり、1号機への海水注入に関して、内閣総理大臣としての「間違った判断」があり、虚偽の報道発表をしたとの意見・論評の表明がその社会的評価を低下させるものと認められることは前記3判示のとおりであるところ、これを前提として判断すれば、本件記事における意見・論評の前提となる事実の主要な部分について真実と認められることば前示のとおりである。本件記事に記載された事実のうち、海水注入の開始後に官邸への報告があったこと、それについて控訴人が「俺は聞いていない」と激怒したこと、海水注入が実際に中断したこと、政府の職員などの官邸の関係者が東京電力に電話をしたこと、実務者、識者の説得によって海水注入が再開したこと、控訴人が海水注入を実際に中断させたことは、内閣総理大臣である控訴人について、1号機に対する海水注入の指示に関する「間違った判断」と虚偽の報道発表について謝罪と辞任を求める本件記事においては,意見・論評の表明の前提として摘示された事実の主要な部分をなすものではないというべきである。

 また、控訴人は、控訴人は海水注入についてはもともと了承しており、海水注入の準備が整うまでの間に塩による腐食の問題を検討するようにいったにすきず、再臨界の間題は海水注入とは関係がない旨主張し、東日本大震災復興特別委員会議録(甲11)及び控訴人作成の陳述書(甲19)にはこれに沿う記載がある。しかし、少なくとも本件会議に参加した海江田大臣、細野補佐官、貞森秘書官及び武黒フェローは、控訴人の質問の趣旨を海水注入によって再臨界するおそれがないかと問うものであると理解したこと、細野補佐官及び貞森秘書官は,斑目委員長の回答を聞いてこのままでは海水注入ができなくなってしまうと懸念し、散会した後、改めて海水注入しても再臨界するおそれがないことを説明することにしたことが認められることは、前記2認定のとおりであって、これらの事実に照らし、前記会議録及び陳述書記載は採用することができない。したがって、控訴人の前記主張は採用することができない


(4)以上のとおりであるから、被控訴人が本件メールマガジンに本件記事を掲載して公表した行為については、公共の利害に関する事項について、内閣総理大臣である控訴人の行動についての事実の摘示を前提として、原子炉への海水注入に関する「間違った判断」と虚偽の報道発表について国民への謝罪と辞任を求めるという意見・論評の表明であるところ、その前提として摘示された事実のうちの主要な部分は真実であるものと認められる。そして、本件記事の内容は、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものとは認められない。したがって、控訴人が本件記事を公表したことについては、違法性を欠くものというべきであり、本件メールマガジンの配信が控訴人に対する名誉毀損に当たることを前提とする控訴人の請求は、理由がない


5 争点3(本件記事を被控訴人の管理する本件サイトに掲載し続けたことが不法行為に当たるか。)について


 前記2(7)認定の事実によれば、被控訴人が本件記事を公表した5月20日の後、5月26日に東京電力は3月12日の海水注入は中断していなかった旨の事実を公表し、遅くとも5月7日の報道によりこの事実が国民に広く知られるようになった事実が認められる。
 しかし、本件記事の内容について、意見・論評の表明の前提として摘示された事実のうちの主要な部分が真実であると認められ、本件記事をメールマガジンとして配信したことについて違法性を欠くものであることは、前示のとおりであるところ、本件記事を本件サイトに掲載したことについては、あくまで、メールマガジン記事として配信された5月20日当時の記事として、他のメールマガジンに掲載された記事とともにバックナンバーとして本件サイトに掲載されていたというにすぎず、被控訴人が本件記事を本件サイトに掲載し、これを継続したことについて、不法行為が成立することはないというべきである。

 したがって、この点に関する控訴人の請求も、理由がない

 

6 結論

 

 以上のとおりであるから、控訴人の請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

 

 

東京高等裁判所第14民事部

裁判長裁判官 後藤 博
裁判官    小池 晴彦
裁判官    大須賀寛之

菅首相vs安倍首相 名誉毀損裁判 東京地方裁判所 判決文全文

平成27年12月3日判決言渡 同日原本領収 裁判官書記官

平成25年(ワ)18564号 メールマガジン記事削除等請求事件

口頭弁論終結日 平成27年10月1日

 

判決

東京都千代田区永田町2丁目2番1号 衆議院第一誌員会館512
原告         菅直人
同訴訟代理人弁護士  喜田村洋一


東京都千代田区永田町2丁目2番1号 衆議院第一議員会館1212
被告         安倍晋三
同訴訟代理人弁護士  古屋正隆
同          橋爪雄彦
同          岩佐孝仁

 

主文


1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由


第1 請求


1 被告は,原告に対し,被告が管理するメールマガジンに,別紙謝罪記事目録記載の記事を掲載し,これを2年以上掲載し続けよ。
2 被告は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成23年5月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 

第2 事案の概要

 

 本件は,民主党所属の国会議員であり平成23年5月当時内閣総理大臣の職にあった原告が,自由民主党所属の国会議員であり平成18年9月から平成19年9月まで及び平成24年12月以降現在まで内閣総理大臣の職にある被告に対し,平成23年5月20日,被告が開設するウェブサイト(以下「本件サイト」という。)から「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題して福島第一原子力発電所事故(以下「本件事故」という。)の対応を批判するメールマガジン記事(以下「本件記事」という。)が発信されたことによって原告の名誉が毀損され,その内容が事実と異なることが判明した後も本件サイトにバックナンバーとして本件記事が掲載されていたと主張して,①不法行為に基づき,損害賠償として慰謝料1000万円及び弁護士費用100万円の合計100万円並びにこれに対する不法行為の日の後の日である平成23年5月21日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払,②民法723条に基づく名誉回復措置として謝罪記事の掲載をそれぞれ求める事案である。

 

1 前提事実(争いのない事実以外は,各項掲記の証拠等により認める。)


(1) 当事者等

 

ア 原告は,民主党所属の国会議員(衆議院議員)であり,平成22年6月8日から平成23年9月2日まで内閣総理大臣の職にあった。原告は,東京工業大学応用物理学科を卒業している。


イ 被告は,自由民主党所属の国会議員(衆議院議員)であり,平成18年9月26日から平成19年9月26日まで及び平成24年12月26日から現在まで内閣総理大臣の職にある。

 被告は,自身の運営する本件サイトにおいてメールマガジンを発行しており,そのバックナンバーを本件サイト上で公開していた。

 

(2) 本件事故の発生


 平成23年3月11日(以下,月日のみを摘示している事実は平成23年のものを指す。),東北地方太平洋沖地震(以下「本件地震」という。)が発生し,東京電力株式会社(以下「東京電力」という。)の設置,管理する東京電力福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という。)において,全交流電源が失われ,原子炉を冷却することができなくなり,原子炉が損傷する本件事故が発生した。

 

(3) 海水注入をめぐる本件事故への対応
ア 本件地震の発生後,福島第一原発の1号機(以下,単に「1号機」ということもある。)等では,原子炉を冷却するため,原子炉容器内に淡水を注入していたが,淡水が枯渇したため,東京電力は,3月12日,1号機の原子炉容器内に海水を注入する方針を決定した。

イ 一方,首相官邸においても,3月12日午後6時頃から,内閣総理大臣である原告,海江田万里経済産業大臣(当時の役職。以下「海江田大臣」という。),原子力安全委員会委員長である班目春樹(当時の役職。以下「斑目委員長」という。),原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)の職員らが集まり,20分程度,原子炉容器内に海水を注入することについて話合いをした(以下「本件会議」という。)。
 本件会議には,原告の指示によって東京電力の説明者として官邸内に待機していた東京電力の武黒一郎フェロー(当時の役職。以下「武黒フェロー」という。)も参加した。(乙1)

 

ウ 福島第一原発の所長である吉田昌郎(当時の役職。以下「吉田所長」という。)は,同日午後7時04分,準備が整ったとして1号機の原子炉容器に海水を注入する措置を開始したが,首相官邸にいた武黒フェローは,この事実を知らされておらず,午後7時25分頃,吉田所長に電話をした際,海水注入を始めた事実を聞かされ,官邸の了解が得られていないとしてこれを停止するように求めた。
 吉田所長は,東京電力の本店対策室に対してこれを受け入れる旨回答しつつ,密かに海水注入を継続することにしたため,実際には海水注入が中断されることはなかった。(甲7,乙1,15)

 

エ 原告は,既に1号機に海水が注入されていた事実を知らされないまま,同日午後7時40分頃,保安院の職員等から本件会議で出された問題の検討結果について説明を受け,午後7時55分頃,海江田大臣に対し,準備でき次第海水注入を開始するように指示した。(甲19)

 

オ 首相官邸は,3月12日午後8時50分頃,本件事故に関する政府の対応を時系列で説明するウェブサイトのページにおいて,午後6時に「福島第一原発について,真水による処理はあきらめ海水を使え」との総理大臣指示がされた旨を公表し,原告も,その頃,自らマスコミに対し,同日午後8時20分から1号機に海水を注入する異例の措置を始めた旨を発表した。(乙18,24,25)

 

(4) 海水注入をめぐる海江田大臣の国会答弁及び東京電力の説明
 海江田大臣は,5月2日の参議院予算委員会において,3月12日午後7時04分に1号機の海水注入試験を開始したが,午後7時25分にこれを停止し,午後8時20分にホウ酸を混ぜた海水注入を開始した旨答弁した。また,東京電力は,5月16日,3月12日午後7時04分に1号機において海水による注水を開始したが,午後7時25分にこれを停止し,午後8時20分に海水及びホウ酸による注水を開始した旨を公表した。(乙21,27)

 

(5) マスコミの報道
 TBSテレビの報道番組「Nスタ」は,5月20日午後5時48分から同50分にかけて1号機の海水注入の問題点について取り上げ,東京電力は3月12日午後7時04分に海水注入を開始したが,政府関係者らの話によると,同事実を官邸に報告したところ,官邸側が「事前の相談がなかった」として東京電力の対応を批判し,海水注入をただちに中止するよう指示したため,同日午後7時25分に海水注入が中断された旨報道した。(乙24)

 

(6) 本件記事の発信とその内容


 被告は,5月20日午後7時頃,本件サイトから「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」との見出しが付けられた本件記事を発信した。
 本件記事の内容は,次のとおりである。

 「福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が,実は全くのでっち上げであることが明らかになりました。

 複数の関係者の証言によると,事実は次の通りです。
 12日19時04分に海水注入を開始。
 同時に官邸に報告したところ,菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。
 官邸から東電への電話で,19時25分海水注入を中断。
 実務者,識者の説得で20時20分注入再開。
 実際は,東電はマニュアル通り淡水が切れた後,海水を注入しようと考えており,実行した。

 しかし,やっと始まった海水注入を止めたのは,何と菅総理その人だったのです。

 この事実を糊塗する為最初の注入を「試験注入」として,止めてしまった事をごまかし,そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。
 これが真実です。
 菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです。」

 

(7) 東京電力による海水注入をめぐる事実関係の訂正
 東京電力は,5月26日,3月12日午後7時04分に1号機において海水による注水を開始したところ,武黒フェローから「海水注入について首相の了解が得られていない」との報告を受け,一旦海水注入を停止することとしたが,「事故の進展を防止するためには,原子炉への注水の継続が何よりも重要」との吉田所長の判断により,実際には海水注入は停止されず継続していたことが判明した旨を公表し,翌朝の新聞がこれを報道した。(甲2,乙7)

 

(8) 本件記事の掲載継続と削除
 被告は,本件サイトにおいて本件記事をバックナンバーとして公表していたが,遅くとも平成27年5月頃までに本件記事を含む過去のメールマガジン記事を本件サイト上から削除した。

 

2 争点

 

(1) 本件記事の摘示事実及び原告の社会的評価の低下


(原告の主張)


 本件記事は,3月12日午後7時04分に東京電力が開始した海水注入について,その報告を受けた原告が「俺は聞いていない」と激怒して止めさせたが,その後,実務家と識者が原告を説得した結果,同日午後8時20分に海水注入が再開されたという事実(以下「摘示事実1」という。)及び原告が同日午後7時04分に開始された海水注入を「試験注入」として,同日19時25分に海水注入を止めたことをごまかし,海水注入が原告の英断であるとの嘘をついたという事実(以下「摘示事実2」という。)を摘示した上,これらの事実を前提として,原告が誤った判断と嘘をついたことについて国民に謝罪し,直ちに辞任すべきであるとの意見,論評を行ったものというべきである。

 そうすると,本件記事は,原子炉を冷却することができず危険な状態になっていた福島第一原発には海水の注入が必要であり,現にこれが実施されていたにもかかわらず,原告がこれを中止させるという誤った判断を犯し,それだけでなく,この事実を隠蔽し,逆に海水注入を自身の英断であるというでっち上げを行い,国民に嘘をついたとの事実を摘示するものであり,行政府の長である内閣総理大臣として陣頭指揮をとっていた原告の社会的評価を低下させるものである。

 

(被告の主張)


ア 本件記事の摘示事実

 

(ア) 摘示事実1に関して

 本件記事前段は,原告が海水注入の停止を指示した事実を摘示したものではなく,原告の行動が原因となって官邸から東京電力へ海水注入中断の指示が入った事実を前提として,このような事態を招いた責任が内閣総理大臣である原告にあるという趣旨の論評を述べたものである。

 本件記事は,本文において「12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ,菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。官邸から東電への電話で,19時25分海水注入を中断。実務者,識者の説得で20時20分注入再会。」と述べるところ,これは,開始されていた海水注入に対し,原告が激怒したことを受け,官邸が東京電力に電話をかけて海水注入を中断させたという事実を指摘するものであって,原告が中断を指示したという事実ではなく,原告の言動に起因して海水注入が中断されたという事実を摘示するものである。そして,本件記事本文の「やっと始まった海水注入を止めたのは,何と菅総理その人だったのです。」との記述は,上記のような原告の言動に対する批判の意見ないし論評である。

 

(イ) 摘示事実2に関して


 本件記事後段は,原告の側近が当初の海水注入を「試験注入」と称し,海水注入が中断したことをごまかした事実及び海水注入の指示が原告によってなされたとの誤った内容を公表していた事実を前提として,側近の行動も含めて官邸の最高責任者として原告が責任を負うべきであるとの趣旨の論評を行ったものである。

 

イ 原告の社会的評価の低下について


(ア) 本件記事の発信前に,テレビ報道において本件記事と同内容の報道がされており,同報道によって既に原告の社会的評価が低下していたというべきであるから,本件記事によって原告の社会的評価が低下したとはいえない。

 

(イ) 本件記事が掲載された直後,吉田所長の判断によって実際には海水注入が中断していなかったという事実が広く公開された。そうすると,読者は,同事実を前提として本件記事の内容を理解するのであるから,海水注入が中断したということに関して原告の社会的評価が低下することはない。

 

(ウ) 本件記事は,対立政党の党首であり時の内閣総理大臣に対する野党議員の政治論争である。国会議員には自由かっ達な議論がなされることが期待され,そのため院内における発言等については責任を問われることがない。本件事故は,原子炉のメルトダウンを招きかねない国民の生命身体財産に直結する重大な事故であり,原告の行政能力は国民最大の関心事であった。このような中で政権を厳しく監視するには野党議員が政権の統治行為に少しでも疑念があれば追及する態度が肝腎であり,一から百まで裏取りをしてからの指摘は事実上無理である。しかも,原子力災害の対応は一刻を争うものであるから,事実関係を確認する時間にも制約がある。本件記事は,このような状況の下で配信されたものであり,読者もそのような状況下での記事であることを承知しており,一方当事者の議員の発言を報道機関の報道と同様にそのまま全てが真実であると措信することはなく,本件記事が端緒となって国会などで政治的議論が交わされ,真実が見えてくることを期待しているのであるから,本件記事は直ちに原告の社会的信用を低下させるものではない。

 

(2) 真実性又は相当性の抗弁


(被告の主張)


 本件記事は,世界中で注目された本件事故の対応について,野党の衆議院議員の職責として報じたものであるから,公共の利害に係る事実に関し,公益を図る目的でされたことは明らかである。
 また,後記のとおり,本件記事が摘示する事実及び意見ないし論評の前提となっている事実は,その重要部分について,いずれも真実であるか又は被告において真実であると信じたことについて相当な理由があるから,本件記事について不法行為は成立しない。

ア 本件記事の重要部分


(ア) 摘示事実1について


 摘示事実1は,官邸から東京電力に対する働きかけにより海水注入が中断されたことについて,内閣総理大臣であった原告の責任を追及したものであるから,官邸から東京電力に海水注入中断を指示する旨の電話をせざるを得ないような原告の言動があったという事実,及びかかる原告の言動に起因して官邸から東京電力に電話があり,これによって海水注入が中断されたという事実は,重要な部分に当たるが,原告が「俺は聞いていない」と激怒したという事実は,重要部分には含まれないというべきである。

 

(イ) 摘示事実2について


 摘示事実2は,原告の側近の不適切な行動について,原告の管理監督上の責任を追及するものであるから,摘示事実の重要な部分は,原告の側近が,海水注入が中断されたことを「試験注入」とごまかし,原告の指示により海水注入が開始されたという嘘を流布したことが重要な部分に当たる。

 

イ 真実性について


(ア) 摘示事実1について


 首相官邸において本件会議が開かれ海水注入に関する検討がされた際,原告は,その場にいた者が海水注入の実施に異論を唱えていなかったにもかかわらず,ただ一人,海水注入について,「再臨界の可能性はないのか」,「海水を入れると再臨界するという話があるじゃないか,君らは水素爆発はないと言っていたじゃないか,それが再臨界はないって言えるのか。そのへんの整理をもう一度しろ」,「わかっているのか,塩が入っているんだぞ,その影響は考えたのか」などと激怒し喚きだし,海水注入に再臨界の危険性があるとの強い懸念を示し,本件会議を一旦中断して関係者らに海水注入について再検討するよう指示したのであるから,官邸から東京電力に対して海水注入の中断を指示する旨の電話をせざるを得ないような原告の言動があったことは,真実である。

 そして,これを受け,官邸において本件会議に参加していた武黒フェローは,官邸からD所長に電話をかけ,既に1号機に海水を注入していると答えた吉田所長に対し,「おいおい,やってんのか,止めろ」,「おまえ,うるせえ,官邸が,もうグジグジ言ってんだよ」と,海水注入の中断を指示したのであるから,原告の上記言動に起因して,官邸から東京電力に海水注入中断を指示する旨の電話があったことも真実である。

 

(イ) 摘示事実2について


 原告を本部長とする原子力災害対策本部は,海江田大臣が官邸にいた武黒フェローに対し口頭で海水注入を命じる措置命令を発し,午後7時04分に海水注入を開始したという真実を隠し,官邸のウェブサイトを通じて原告の指示により海水注入が開始されたという嘘を流布した。

 したがって,原告の側近が原告の指示により海水注入が開始されたという嘘を流布したことは真実である。

 また,海江田大臣は,前記1(4)のとおり,5月2日の参議院予算委員会において,3月12日午後7時04分に1号機の海水注入試験を開始したが,午後7時25分にこれを停止し,午後8時20分にホウ酸を混ぜた海水注入を開始した旨答弁しており,海水注入中断という事実は真実ではなかったが,海水注入が中断されたとの認識の下に,原告の側近が海水注入が中断されたことを「試験注入」とごまかしたことは,真実である。

 

ウ 相当性について


(ア) 摘示事実1について


 仮に前記イ(ア)が真実でないとしても,原告の言動に関する記述は当時の官邸にいた者の話や新聞報道等から真実であると判断したものであり,真実と信じるにつき相当な理由があった。

 また,実際には,現場の判断により海水注入は中断されていなかったが,当時は広く海水注入が中断されたとの報道がされており,海水注入が継続していたことは福島第一原発にいた一部の者しか知らなかった事実であるから,海水注入が中断した事実を真実であると信じたことにも相当な理由がある。

 

(イ) 摘示事実2について


 仮に前記イ(イ)が真実でないとしても,上記(ア)同様,当時の官邸にいた者の話,新聞報道等から真実であると判断したものであり,真実と信じるにつき相当な理由があった。

 

(原告の主張)


 本件記事の摘示事実は,いずれも真実ではなく,真実であると信ずるにつき相当な理由もない。


ア 本件記事の重要部分


 摘示事実1について,本件記事は,その内容に照らすと,原告が既に始まった海水注入に対し,理不尽な怒りをぶつけてこれを止めさせたとの趣旨と理解すべきであるから,原告が海水注入の事実を聞いた上で「俺は聞いていない」と激怒したという事実は,重要部分に当たる。

 また,本件記事は,福島第一原発の危機的状況において海水注入が中断したことについて原告を批判する内容であるから,実際に海水注入が中断したことも重要部分に当たるというべきである。

 

イ 真実性について


(ア) 摘示事実1について


a 本件会議は,3月12日の午後6時頃から20分程度行われたものであるから,そもそも本件会議の時点では海水注入は開始しておらず,原告は,3月12日午後7時04分に海水注入が開始した事実も聞かされていなかったから,原告が「俺は聞いていない」と激怒して海水注入を中断させることはあり得ない。本件会議では,淡水が切れたら海水を注入するということを当然の前提としており,原告も同様の認識を有していた。東京電力の職員から海水注入の準備が整うまでに1時間半ほどかかるとの説明がされたため,原告は,斑目委員長を始めとする原子力安全委員会保安院東京電力の職員らに対し,海水注入の準備が整うまでの間に海水注入に伴う塩による腐食の問題を検討するように言ったにすぎない。再臨界の問題は,これとは別に本件会議において斑目委員長が再臨界の可能性があるとの趣旨を述べたため,上記検討と併せて再臨界の問題についても検討することを求めたものであり,海水注入に反対する趣旨ではなかった。同席者の中には,原告の質問が海水注入との関係でなされたと誤解した者がいたかもしれないが,それは原子力ないし理系の知識を有していない故の誤解である。

 したがって,原告が海水注入に異論を唱えたり,ましてや海水注入の事実を聞いて激怒したりこれを中断させようとしたという事実はない。

 また,東京電力による海水注入の開始は午後7時04分であり,午後8時20分に開始されたというのも事実に反し,午後7時04分に開始された海水注入はその後中断されることもなかったから,この点も事実に反する。

 

b 本件記事は「官邸からの電話」としているところ,これは原告の支配下にある者からの指示,すなわち原告の指示と同視できるもののみが該当するというべきである。そうすると,福島第一原発へ電話をした武黒フェローは東京電力の社員であって,官邸職員ではないから,同人からの電話をもって,原告からの指示と同視することはできない。

 武黒フェローは,官邸内の政府関係者に海水注入が開始されている事実等を伝えないまま自身の判断によって海水注入の中断を指示していたものであって,同人の電話について原告が批判されるべき理由はない。

 

c したがって,摘示事実1は重要部分において真実であるということはできない。

 

(イ) 摘示事実2について


 客観的事実として午後7時04分に開始された海水注入が午後7時25分に止められたことはなかったのであり,また,原告は,午後7時04分に海水注入がされたことを知らなかったのであるから,これを「試験注入」にすぎないとしたことはなく,午後7時25分の海水注入停止をごまかしたこともない。

 また,「試験注入」との語は,上記のとおり,官邸とは無関係に海水注入の中断を決めた東京電力が中断の事実を説明をするために作った用語であり,東京電力の説明を受けた者が,そのまま説明したものであって,官邸内の職員等原告の指揮下にある者らが「試験注入」という言葉を使ったわけではない。

 海水注入は,1号機の冷却を図らなければならない当時の緊迫した状況の中では当然の対応策であり,海水注入をしないなどという選択はあり得なかったから,そのような当然の対応をしたことを「英断」などという必要は皆無であった。

 したがって,摘示事実2は重要部分において真実であるということはできない。

 

ウ 相当性について


 被告の指摘する政府関係者について,その属性や素性等が明らかでないばかりか,反対尋問を経た証言もないのであるから,これを信用することはできない。また,新聞報道等に基づく判断は,真実であると信じたことについて相当な理由があることの根拠とはならない。

 

(3) 本件記事を削除することなく掲載を継続したことについて被告に不法行為が成立するか

 

(原告の主張)


ア 被告が本件記事を掲載した後である5月27日,海水注入が中断した事実はないことが報道され,被告は,同事実を前提とする摘示事実1及び同2がいずれも事実ではないことを認識するに至った。

 

イ 新聞や雑誌等のメディアにおいては,名誉毀損となる記事が掲載された媒体が発行されれば,後に事実ではないことが明らかとなったとしてもこれらの媒体の回収が極めて困難である。一方で,インターネットを利用した記事の場合,削除又は修正が容易であるにもかかわらず広く全国,全世界で閲覧が可能であるという特殊性があることからすると,インターネットメディアを利用する者は,その特性に応じ,記事の誤りが判明した場合は当該記事を削除するなどしてそれ以上名誉毀損による損害が継続,拡大しないよう防止すべき義務を条理上負っているというべきである。

 

ウ したがって,被告が本件記事の内容は真実でないと認識した5月27日以降も約4年間にわたって本件記事を掲載し続けたことは,上記義務に反し,不法行為を構成する。

 

(被告の主張)


ア 本件記事は,被告の運営する本件サイトにアクセスした上,メールマガジンバックナンバーのページにアクセスする必要があるから,公然と摘示しているとはいえない。

 

イ 本件記事の公表後,原告や当時の政府関係者は,国会における答弁等において本件記事の指摘する海水注入をめぐる経緯やその後の官邸発表等について説明を行っており,その内容は広く報道等されているところ,これらを併せて読む一般の読者においては,被告の意見である本件記事を読んだとしても,上記原告らの反論を踏まえて理解するから,本件記事の掲載を継続していたとしても,これにより原告の社会的評価が低下するということはない。

 

ウ 表現の自由が民主主義を支える重要な人権として優越的地位にあること,本件記事は,当時の内閣総理大臣としての原告の言動について,野党議員である被告が批判をしたものであることを考慮すれば,仮に本件記事に掲載後真実でないことが明らかとなった部分が含まれているとしても,その掲載の継続が違法となるのは,①記事の内容が真実ではないことが明白になり,②これによって原告に重大な名誉毀損を生じさせ,③表現の自由との関係を考慮しても当該記事をそのまま掲載し続けることが社会的な許容の限度を超えると判断される場合に限られると解するべきである。

 そうすると,本件は,①海水注入の中断がなかったという記事の一部分についてのみ真実でないことが明らかになったにすぎず,②本件記事の大部分は真実である上,一般人においても,対立野党の議員である被告において内閣総理大臣である原告を批判する内容であることは当然に理解しており,海水注入の中断がなかったという事実も広く知れ渡ることとなったのであるから,これらを前提として記事の内容を理解することから,原告にもたらす不利益は大きくない。さらに,③内閣総理大臣の言動に対する批判的言論が事後的にでも名誉毀損として違法となるのであれば,民主主義の根幹たる表現活動が萎縮する結果となるから,表現の自由との関係で影響は大きく,社会的許容限度を超えるとはいえないというべきである。

 

(4) 原告に生じた損害


(原告の主張)


 本件記事の内容が明白に虚偽であること,その内容が翌日の全国紙で大々的に報じられたこと,2年以上の間掲載され,原告からの再三の削除要求にも被告が応じていないこと,選挙期間中も閲覧可能であり,原告及び原告が所属する民主党を攻撃する意図から掲載しているものであること等を考慮すると,原告に生じた精神的損害は,金銭に換算すると1000万円は下らない。


 また,原告は本件訴訟を弁護士に依頼しているところ,その費用としては100万円が相当である。

 

(被告の主張)


 争う。

 

(5) 名誉回復措置としての謝罪広告


(原告の主張)


 原告は,行政府の長である内閣総理大臣として,予断を許さない本件事故の対応のため陣頭指揮に当たっていたところ,本件記事は,原告が極めて利己的な立場から激怒して海水注入を止めさせようとした上,その事実を隠蔽し,逆に海水注入を自身の英断であるというでっちあげを行い国民に嘘をついていると指摘するものであって,原告の名誉を著しく毀損するものであるから,名誉回復のための措置として,謝罪広告の掲載を求める。

 

(被告の主張)


 争う。

 

第3 争点に対する判断


1 認定事実


 前記第2の1の前提事実及び証拠(各項掲記のもののほか,甲19,乙36~38)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。


(1) 福島第一原発における事故発生後の経緯


ア 3月11日午後2時46分,本件地震が発生し,福島第一原発の原子炉は緊急停止した。そして,午後3時27分と同35分にそれぞれ上記地震に伴って発生した津波が到達し,これにより福島第一原発は,全交流電源を喪失した。

 そこで,東京電力は,午後3時42分頃,原子力災害対策特別措置法(以下「原災法」という。)10条1項に基づき,上記全交流電源の喪失の事実を政府等に通報し,また,午後4時45分頃には1号機の原子炉水位が確認できず注水状況が不明になったとして,原災法15条1項の規定に基づく特定事象(非常用炉心冷却装置注水不能)の発生を通報した。

 原告は,海江田大臣らから上記通報内容の説明を受け,午後7時03分,原子力緊急事態宣言を発令し,原告を本部長,海江田大臣を副本部長とする原子力災害対策本部を設置した。

 また,原告は,官邸において福島第一原発の状況を十分に把握できていないと考え,斑目委員長らと共に翌12日午前6時15分頃,官邸を発ち,午前7時11分頃,福島第一原発に到着して吉田所長と面会し,現地の状況を視察した。(乙1,2)

 

イ 福島第一原発の吉田所長は,原子炉を冷却するため防火水槽内の淡水を使用していたが,3月12日正午頃,淡水が枯渇した場合には,福島第一原発3号機タービン建屋前に津波で溜まっていた海水を1号機の原子炉容器内に注入することを決め,消防ホースを準備するように職員らに指示し,テレビ会議システムを通じて吉田所長と連絡を取り合っていた東京電力本店の対策室もこれを了承した。(甲7,乙3)

 

ウ 同日午後2時53分頃,防火水槽内の淡水が枯渇したため,東京電力は,同日午後3時18分,「異常事態連絡様式(第2期以降)(原子炉施設)」と題する定型書類に「今後,準備が整い次第,消火系にて海水を炉内に注入する予定」と記載して,首相官邸内の内閣情報集約センター及び保安院ファクシミリ送信した。(乙3・10頁,乙10)

 

エ ところが,同日午後3時36分頃,1号機の原子炉建屋において水素爆発が起きたため,1号機原子炉容器内に海水を注入するための準備作業は中断された。

 

(2) 本件会議の状況と武黒フェローの吉田所長に対する指示


ア 海江田大臣は,同日午後5時55分頃,官邸にいた武黒フェローに対し,1号機に海水注入をするように指示し,保安院に対して,核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(以下「原子炉規制法」という。)64条3項に基づく措置命令発出の準備をするよう指示した。武黒フェローは,海江田大臣からの上記指示を,同日午後6時05分頃,東京電力の本店に伝達した。(乙2,3,10)

 

イ 前記第2の1(3)イのとおり,官邸内においては,同日午後6時頃から同6時20分頃まで,原告,海江田大臣,斑目委員長,保安院の職員,武黒フェローらが集まり,1号機への海水注入に関する検討がされた(本件会議)。

 武黒フェローは,本件会議において,原告に対し,淡水が枯渇したため,1号機に海水を注入する予定であり,その準備に約1時間半ほど時間がかかるとの説明をした。原告は,海水を注入することによる原子炉の腐食の可能性について質問したほか,斑目委員長に対し再臨界の可能性はないのかと尋ねた。これに対し,斑目委員長が再臨界の「可能性はゼロではない」と回答したため,原告は,海水中にホウ酸を投入するなど再臨界を防ぐための方法を検討するように求め,本件会議は散会となった。(乙1,2,15,32~34)

 

ウ 一方,吉田所長は,前記第2の1(3)ウのとおり,同日午後7時04分,準備が整ったとして1号機の原子炉容器内に海水を注入する作業を開始したが,官邸にいた武黒フェローは,このことを知らず,午後7時25分頃,注入開始時刻の目安を把握するため,福島第一原発のD所長に電話をかけた際に,既に海水注入を開始していると知らされた。武黒フェローは,これに驚き,吉田所長に対し,官邸で海水注入の了解が得られていないとして海水注入を停止するよう求め,納得しない吉田所長に対し,「おまえ,うるせえ,官邸が,もうグジグジ言ってんだよ。」などと声を上げた。

 東京電力の本店対策室も吉田所長に対して海水注入の停止を指示したことから,吉田所長は,表向きこれを受け入れる旨返事をしたが,実際にはこの指示には従わず,密かに海水注入を続けたため,実際には海水注入が中断されることはなかった。(甲7,乙1,5,15)

 

エ 斑目委員長,保安院の職員,武黒フェローらは,同日午後7時40分頃,原告に対し,本件会議において示された検討事項について検討結果を報告したが,武黒フェローは,午後7時04分から既に1号機の原子炉容器内に海水注入がされていた事実を原告や海江田大臣らには伝えず,原告は,そのことを知らないまま,午後7時55分,経済産業大臣である海江田大臣に対し,海水注入を指示した。

 また,午後8時05分には海水注入を命ずる経済産業大臣名の命令文書が作成され,武黒フェローから東京電力本店に対し,海水注入の許可が得られた旨の報告がされた。(甲7・9頁,乙10)

 

(3) 官邸発表等


ア 前記第2の1(3)オのとおり,首相官邸は,3月12日午後8時50分頃,本件事故に関する政府の対応を時系列で説明するウェブサイトのページにおいて,午後6時に「福島第一原発について,真水による処理はあきらめ海水を使え」との総理大臣指示がされた旨を公表し,原告も,その頃,自らマスコミに対し,同日午後8時20分から1号機に海水を注入する異例の措置を始めた旨を発表した。(乙18,24,25)

 

イ 海江田大臣は,5月2日,参議院予算委員会において,3月12日午後7時04分に,東京電力が1号機に対する「海水注入試験」を開始し,午後7時25分に停止したこと,「総理からの本格的な注水をやれ」との指示を受け,午後8時20分,1号機に対し,消火系ラインを使用して海水注入を開始し,海水には水素爆発を防ぐためホウ酸を混ぜたことなどを答弁した。(乙27)

 

ウ 細野豪志内閣総理大臣補佐官(以下「細野補佐官」という。)は,5月21日に実施された記者会見において,本件会議において海水注入するに際しての安全性を確認するよう原告から原子力安全委員会保安院に指示がされたこと,原告からは特に再臨界の危険性がないのかと確認がされ,それを受けてホウ酸を投入するなど再臨界を防ぐ方法を検討すべきだという話になり,本件会議が1時間ないし1時間半休憩となったこと,東京電力からは海水注入まで1時間ないし1時間半はかかるとの説明があったためその間しっかり検討するようにとの指示があったこと,官邸としては当初の海水注入の事実を把握していなかったこと,東京電力の担当者からは保安院に口頭で伝えた旨証言されているが,保安院には連絡を受けていたという記録は残っていないこと,3月12日午後7時40分に原告への説明がされ,その説明を受けて午後7時55分に原告が海水注入の指示をし,午後8時05分に海江田大臣から海水注入の命令が出されたことなどを説明した。(乙8,23)

 

(4) 本件事故に係る原告の対応についての関係者の認識


ア 緊急事態宣言の発令について


 前記(1)アのとおり,原告は,3月11日午後7時03分に本件事故について緊急事態宣言を発令し,原子力災害対策本部を設置したが,その際の状況について,A大臣は,平成24年5月17日,国会において組織された東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(以下「国会事故調」という。)の委員会において答弁しており,東京電力からの原災法15条に基づく通報を受けて同法16条の規定に基づく原子力緊急事態宣言の発令を求めるため原告のところを訪れた際,原告は「どこにその根拠があるのか。」などと述べたため,「総理の御理解を得るのに時間がかか」ったと説明した。(乙2・304頁)また,政府によって組織された東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(以下「政府事故調」という。)は,平成24年1月10日,細野補佐官に対する聴取を行っているところ,細野補佐官は,上記緊急事態宣言の発令に関して,「総理というのは,事態をすごく把握したい,自分が分かった上で対応したいというのがすごくある人なので,海江田大臣におまえ任せるから,そうなんだな,では緊急事態だというタイプの人ではないんです。特に,一番初めでしたから何が起こっているんだということを聞きたがったわけですよ。これは,菅さんのある種の性格もあるんですよ。」と振り返っている。(乙32・9頁)

 

イ 本件会議について


(ア) 武黒フェローは,平成24年3月28日に開かれた国会事故調の委員会において,本件会議について,「総理からは,いろいろ御質問がございました。特に,海水を注入するということで再臨界の可能性がないかとかいうことも含めて,ボロンを入れなくていいのかとか,それから,海水というのが臨界に与える影響はどういうことなんだ,メカニズムというと大げさかもしれませんが,原理的なそういったことですとか,あとは,準備状況がどういうふうに整っているのかといったような御質問がいろいろとございました。」と述べ,前記(2)ウのとおり,本件会議後,吉田所長に対して海水注入を中断するよう指示したことについて,「いつ海水注入ができるかということは,今後総理に早く御判断いただくために非常に必要なことだと思いましたので,発電所にもそのときは連絡をとりました。」,「発電所長からは,既に海水注入をしているという話がありました。それで,私としましては,総理に説明がまだ終わっていないということなものですから,こういう危機的な状況の全体としての統括をしておられる総理への御説明が終わっていないという中で海水注入がされているままでいるということが,水を入れるということの重要さと,一方で,全体的な統括をしていく上で今後もまだいろいろなことが起きるかもしれませんが,十分総理への御説明が終わっていない段階で現場の方が先行してしまっているということが将来の妨げになっても困るという両方の中で,なるたけ早く総理に御了解をいただく,そのための準備も十分整っているので,一旦注水をとめて,そして了解をいただいてすぐ再開するということで進めてはどうかということを申し上げました。」,「私の当時の思いとしましては,総理への御説明を終えて,間もなくきちんとした形で事が行えるようになるというふうに思っておりましたので,今後,全体のいろいろな対応をしていく上で,総理の責任者としての位置づけの中で進めていくということも重要だと思いました。」,「やはり最高責任者である総理の御理解を得て事を進めるということは重要だというふうには思っておりました。」などと述べている。(乙15・159~160頁)

 

(イ) 東京電力の武藤栄副社長(当時の役職)は,5月31日に国会内で開かれた東日本復興特別委員会において,海水注入の問題に関し,「緊急時体制の本部長であられます総理のもと,官邸の中で安全委員会の助言などを得ながら御検討が続いている状態だということがわかりました。総理の御了解を得ずにその後注水を継続するということが難しいということがわかった」,「官邸に派遣をしておりました者が,早期に注入を開始するという交渉,説明をしていたということで,短期間の中断となるだろうという見通しがあったことから,やむを得ず海水注入の中断を判断した」,「官邸に派遣をされていた者によりますと,官邸の中では,海水注入の実施のような具体的な施策につきまして総理が御判断されるという感じがあった」,「総理の御判断がない中でそれを実施するということはできない,そういう雰囲気,空気があったというふうに聞いております。」などと述べた。(乙3・40頁)

 

(ウ) 海江田大臣は,平成24年2月8日の政府事故調の聴取において,海水注入をするように東京電力に指示したことを原告に報告したところ,「再臨界になったらどうするのだという質問が出た」,「突然その再臨界の話になったから,斑目さんも,それにうまく答えられなかった」,「絶対ありませんとは言えなかった」と述べ(乙33・18頁),同年5月17日に開かれた国会事故調の委員会においても,当時を振り返り,淡水が切れた場合には海水で冷やす必要があると考えていたこと,そのため,自身の判断により原子炉規制法64条3項に基づく口頭命令を出したこと,その旨原告に報告したところ,原告から「再臨界の可能性はないのか」と言われたこと,「私は,よもや淡水から海水に変えて再臨界ということがあろうなどとは思っておりませんでしたけれども」,「その場にいた斑目委員長あるいは保安院の人間,あるいは武黒さんがやっぱりいろいろお話をしていたと思います。」と述べるとともに,東京電力の武黒フェローが吉田所長に電話をかけて海水注入を中断するよう指示したことについて,「内閣総理大臣というのは最高権力者でありますし,・・・特にやっぱり緊急時のときには内閣総理大臣に権限をかなり集中をさせますので,その意味では本当に大変な重責だなというふうに思いました。また,それを重く受け止めるんだなということは,万事にわたってそういうものだというふうに思いました。」と述べた。(乙2・306~307頁)

 

(エ) 細野補佐官は,平成24年1月10日の政府事故調の聴取において,3月12日の6時頃に「海江田大臣が海水注入をしようということで入って,総理が再臨界の危険はないのかと言い出した」,これに対して「斑目委員長が,可能性はゼロではない」との趣旨の回答をした,「真水がなくなったらすぐ海水だというのは当たり前だと思っていたので,海江田さんが決めたらもうそれで入れるだろうと思ったわけです。ところが,総理が再臨界があるんじゃないかということを言い出して,そんなことがあるのかなと思って,専門家たる斑目委員長が有り得るというようなことを言ったものだから,すごく驚いたんですよね。まずいなと思ったんですよ。」「当時もう総理も大変なことだということで,やはり表現が相当直截になっていたんですよね。斑目委員長に「再臨界は本当にないのか」と聞いたんですよ。多分,斑目委員長はその気迫に押されたんですね。それで多分,ありませんとは言えなかったんです。」と述べた。(乙32・11,12頁)

 

(オ) 貞森恵佑内閣総理大臣秘書官(当時の役職。以下「貞森秘書官」という。)は,平成24年1月13日の政府事故調の聴取において,海水注入について原告の確認を取るため報告に行ったところ,「総理は,海水を入れるということは当然塩が入っているわけなので,そこは本当に大丈夫なのかという点を質問された」,それに対して斑目委員長が「海水なので塩が入っていますから,余り長く入れていると腐食するかもしれませんし,塩が濃くなって詰まったりとか,塩が入ってくることによる問題がありますが,今は緊急事態なのでやらなければいけない」という説明をしたところ,「総理が「再臨界の可能性はないのか」という質問をされた」,それに対して「斑目委員長は「可能性はあります」というふうにおっしゃいました。」,「横で聞いて,私は本当に怖くなったんですね。本当に海水が入らなくなってしまうかもしれない。そうすると,危ないではないかという議論になって,そうしたら,総理は「だったら,その点は本当に大丈夫なのか」というふうになって,ちょっと再整理をしようということになったわけです。」,「要するに,次に総理に説明するときはいい加減な説明ができないので,ちゃんと安全委員会と保安院東京電力とみんな,再臨界の危険性はほとんどなくて,今はとにかく海水注入を急がなければいけないという説明をきちんとすり合わせして,7時40分ぐらいだったと思いますけれども,総理に再度説明をして」,了解をいただいたと述べた。(乙34・10,11頁)

 

(5) 本件事故に関する調査報告の内容


ア 政府事故調が作成した平成24年7月23日付け最終報告(乙1)は,本件事故への政府の対応に関して「官邸地下中2階や官邸5階での協議においては,単にプラントの状況に関して収集した情報を報告・説明するだけではなく,入手した情報を踏まえ,事態がどのように進展する可能性があるのか,それに対しいかなる対応をなすべきか,といった点についても議論され,その結果を踏まえ,主に東京電力の武黒フェローや同社担当部長が,同社本店や吉田所長に電話をかけ,最善と考えられる作業手順等(原子炉への注水に海水を用いるか否か,何号機に優先的に注水すべきかなど)を助言した場合もあった」が,「ほとんどの場合,既に吉田所長がこれらの助言内容と同旨の判断をし,その判断に基づき,現に具体的措置を講じ,又は講じようとしていたため,これらの助言が,現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすことは少なかった。しかし,幾つかの場面では,東京電力本店や吉田所長が必要と考えていた措置が官邸からの助言に沿わないことがあり,その場合には,東京電力本店や吉田所長は,官邸からの助言を官邸からの指示と重く受け止めるなどして,現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすこともあった。」と指摘した(196,197頁)。

 

イ 国会事故調が作成した平成24年6月28日付け報告書(乙5)は,「1号機の海水注入に当たっては,菅総理の「再臨界」発言を契機に,官邸5階で議論が仕切り直しとなり,それを受けた武黒フェローから吉田所長に対し海水注入停止が指示され,吉田所長の判断によって海水注入が続行されるという混乱を招いた。」(325頁),「菅総理は,福島第一原発に赴き,過酷な条件下で事故対応に専念していたD所長らに対し,ベントが実施されないことなどについて,いら立ちをぶつけた。海江田経産大臣は,官邸5階において実施が決まったベントがなかなか実施されないことによる焦りや東電に対する疑念等から,法律に基づくベント,海水注入の実施命令を発出し,次々に現場の事故対応に介入した。また,官邸政治家は,福島第一原発の現場を含む東電に対し,さまざまな質問,問い合わせを連発した。こうした官邸政治家の行動は,本事故対応における東電の当事者意識,つまり発電所の制御は東電の責任であるという意識を薄める結果をもたらした。」(326頁),「菅総理は,1号機の海水注入がいったん中断されたことへの関与について,再臨界の可能性等を検討させたものの,注水の中止を指示してはいない,と主張する。しかし,総理の『再臨界』発言を契機に,官邸5階で海水注入の議論が仕切り直しとなり,それを受けた武黒フェローの報告によって東電本店が海水注入停止を決断するに至った。事業者として政府の監督を受ける東電側が,政府の代表者である菅総理ら官邸政治家の発言に過剰反応したり,あるいはその意向をおもんぱかった対応をする事態は十分に予期される。したがって官邸政治家は,そうした事態が起こる可能性を十分踏まえた上で発言すべきである。この点からすれば,総理が,注水停止の原因を過剰反応した者の対応に求めることには違和感がある。」(329頁)などと指摘した。

 

2 争点(1)(本件記事の摘示事実及び原告の社会的評価の低下)について


(1) 前記第2の1の前提事実によると,「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」との見出しが付けられた本件記事は,当時,野党の国会議員であった被告が,現職の内閣総理大臣であった原告の本件事故の対応を批判したものであり,「複数の関係者の証言」による話として,
東京電力が3月12日午後7時04分に1号機の原子炉容器内に海水注入を開始した後,これを官邸に報告したところ,原告が「俺は聞いていない!」と激怒したこと,②官邸から東京電力に対して電話があり,東京電力は午後7時25分に海水注入を中断したこと,③実務者,識者が原告を説得し,午後8時20分に海水注入が再開されたこと,④中断前の海水注入は「試験注入」であるとされたこと,⑤海水注入の実施を決定したのは原告であるとの虚偽の事実を原告の側近が新聞やテレビに流したことの各事実を指摘した上,①海水注入を中断させた原告の判断は誤っていたこと,②原告が海水注入を中断させた事実を「糊塗」するため,中断前の海水注入を「試験注入」であると発表し,海水注入を原告の「英断」であるとの虚偽の事実を新聞やテレビに流したこと,
③以上の点について,原告は国民に謝罪し直ちに辞任すべきであるとの意見ないし論評を述べるものというべきである。

 

(2) 前記1(1)のとおり,本件事故により,福島第一原発が全交流電源を喪失し,原子炉の注水状況が不明になり,原子炉建屋が水素爆発するなど,我が国はかつて経験したことのない非常事態に陥ったものであり,内閣総理大臣であった原告は,原子力緊急事態宣言を発令し,自らを本部長とする原子力災害対策本部を設置して最悪の事態を回避すべく陣頭指揮を執っていたものということができる。

 本件記事は,本件事故発生から2か月を過ぎた5月20日に当時野党の国会議員であった被告によって発信されたものであり,その内容は,本件事故の対応を批判し,原告の政治的責任を追及したものということができるが,本件記事の内容は,原告の内閣総理大臣としての資質に疑問を抱かせるものであるから,本件記事は原告の社会的評価を低下させるものということができる。

 

(3) この点,被告は,本件記事の発信前に,テレビ報道において本件記事と同内容の報道がされており,本件記事によって原告の社会的評価が低下したとはいえない旨主張するが,前記第2の1(5)のとおり,本件記事が発信された当時は,その直前に1社がいわば特報として報道したばかりの状況にあり,広く国民に知れ渡っていたということはできない上に,本件記事は,国会議員であり,しかもかつて内閣総理大臣まで務めた被告が「複数の関係者の証言」による話として発信したものであり,本件記事によって,原告の社会的信用は一層低下させられたと認められるから,被告の上記主張は,採用することができない。

 また,被告は,本件記事が掲載された直後,吉田所長の判断によって実際には海水注入が中断していなかったという事実が広く公開された旨主張するが,原告の言動によって海水注入が中断しかねない事態に至ったという事実は,海水注入が中断していたか否かにかかわらず原告の社会的信用を低下させるものというべきであるから,実際には中断していなかったとしても原告の社会的信用が害されなかったということはできず,被告の上記主張は,採用することができない。

 さらに,被告は,本件記事は,対立政党の党首であり時の内閣総理大臣に対する野党議員の政治論争であり,また,原子力災害の対応は一刻を争い,事実関係を確認する時間にも制約があって,読者もそのような状況下で作成された記事であることを承知しているから,本件記事は直ちに原告の社会的信用を低下させるものではない旨主張する。

 しかしながら,本件記事は,国会議員である被告が同じく国会議員である原告を政治的に批判したものであり,また,本件記事が事実関係を確認する時間に制約がある状況下で作成された記事であって,読者もそれを承知しているとしても,本件記事は,原告が内閣総理大臣として本件事故に対して適切に対応していなかったと述べるものであるから,本件記事によって原告の社会的信用が害されないということはできず,被告の上記主張も,採用することができない。

 

3 争点(2)(真実性又は相当性の抗弁)について


(1) 判断枠組み


 事実を摘示しての名誉毀損にあっては,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには,上記行為には違法性がなく,仮に上記証明がないときにも,行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば,その故意又は過失は否定される(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁,最高裁昭和56年(オ)第25号同58年10月20日第一小法廷判決・裁判集民事140号177頁参照)。一方,ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,上記行為は違法性を欠くものというべきであり,仮に上記証明がないときにも,行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由があれば,その故意又は過失は否定される(最高裁昭和60年(オ)第1274号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁,最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。

 

(2) 本件記事の趣旨とその公共性,公益性
 前記2(1)のとおり,「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」との見出しが付けられた本件記事は,当時,野党の国会議員であった被告が,現職の内閣総理大臣であった原告の本件事故の対応を批判したものであり,①東京電力が3月12日午後7時04分に1号機の原子炉容器内に海水注入を開始した後,これを官邸に報告したところ,原告が「俺は聞いていない」と激怒したこと,②官邸から東京電力に対して電話があり,東京電力は午後7時25分に海水注入を中断したこと,③実務者,識者が原告を説得し,午後8時20分に海水注入が再開されたこと,④中断前の海水注入は「試験注入」であるとされたこと,⑤海水注入の実施を決定したのは原告であるとの虚偽の事実を原告の側近が新聞やテレビに流したことの各事実を指摘した上,①海水注入を中断させた原告の判断は誤っていたこと,②原告が海水注入を中断させた事実を「糊塗」するため,中断前の海水注入を「試験注入」であると発表し,海水注入を原告の「英断」であるとの虚偽の事実を新聞やテレビに流したこと,③以上の点について,原告は国民に謝罪し直ちに辞任すべきであることとの意見ないし論評を述べ,原告の内閣総理大臣としての資質を問題とし,その政治責任を追及するものというべきである。

 一方で,前記第2の1(7)のとおり,本件記事が発信された後の5月26日,東京電力は,3月12日午後7時04分に1号機において海水による注水を開始したところ,武黒フェローから「海水注入について首相の了解が得られていない」との報告を受け,一旦海水注入を停止することとしたが,「事故の進展を防止するためには,原子炉への注水の継続が何よりも重要」との吉田所長の判断により,実際には海水注入は停止されず継続していたことが判明した旨を公表し,中断したとされた海水注入が継続していた事実が明らかになった。

 本件記事は,このことが明らかになる前に発信されたものであり,海水注入が中断された旨の記載がされているが,本件記事の主題は,内閣総理大臣であった原告に東京電力において開始した海水注入を中断させかねない振る舞いがあったことを批判し,本件記事の見出しのとおり,原告の指示によって海水注入が開始されたとの官邸の発表が事実に反することを問題にしたものというべきである。

 そして,本件記事は,上記のとおり,野党の国会議員であった被告が,本件事故の対応をめぐって,原告の内閣総理大臣としての資質を問題とし,その政治責任を追及するものであるから,本件記事の掲載が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあることは明らかである。

 

(3) 摘示事実の真実性について


ア 原告は,本件会議では,淡水が切れたら海水を注入するということを当然の前提としており,東京電力の職員から海水注入の準備が整うまでに1時間半ほどかかるとの説明がされたため,原告は,斑目委員長を始めとする原子力安全委員会保安院東京電力の職員らに対し,海水注入の準備が整うまでの間に海水注入に伴う塩による腐食の問題を検討するように言ったにすぎないとし,再臨界の問題は,これとは別に本件会議において斑目委員長が再臨界の可能性があるとの趣旨を述べたため,上記検討と併せて再臨界の問題についても検討することを求めたものであり,同席者の中には,原告の再臨界の問題に関する質問が海水注入との関係でなされたと誤解した者がいたかもしれないが,それは原子力ないし理系の知識を有していない故の誤解である旨主張し,原告の陳述書(甲19)にはこれに沿う陳述部分がある。

 

イ しかしながら,本件事故の発生により,我が国はかつて経験したことのない非常事態に陥ったものであり,これに対し,内閣総理大臣であった原告が強力なリーダーシップを発揮しようとしたことは,前記1(4)アのとおり,海江田大臣が原子力緊急事態宣言の発令を求めた際に原告の理解を得るのに時間がかかったと述べ,細野補佐官が原告は判断を人に任せる性格ではないと述べていること,さらには,前記1(1)ア,(5)イのとおり,原告が本件事故発生の翌朝には自ら福島第一原発に赴いてD所長と面会し,国会事故調の報告書において,原告は,「過酷な条件下で事故対応に専念していた吉田所長らに対し,ベントが実施されないことなどについて,いら立ちをぶつけた」と報告されていることからもうかがわれるところである。

 そして,前記1(4)イのとおり,本件会議に参加した海江田大臣,細野補佐官,貞森秘書官及び武黒フェローは,海水注入を行うことを原告に報告したところ,原告から再臨界の可能性はないのかと質問されたと述べ,原告の質問の趣旨を海水注入によって再臨界するおそれがないかと問うものであると理解したものと認められ,同席した斑目委員長が原告の気迫に押されて再臨界もあり得ると答えてしまったため,細野補佐官及び貞森秘書官は,このままでは海水注入ができなくなってしまうと懸念し,散会した後,改めて海水注入しても再臨界するおそれがないことを説明することにしたことが認められる。

 また,前記1(2)ウ,(4)イ(ア)のとおり,武黒フェローは,「いつ海水注入ができるかということは,今後総理に早く御判断いただくために非常に必要なこと」であり,「最高責任者である総理の御理解を得て事を進めるということは重要だ」と考え,本件会議後の午後7時25分頃,注入開始時刻の目安を把握するため,福島第一原発の吉田所長に電話をかけたところ,既に海水注入を開始していると知らされてこれに驚き,吉田所長に対し,官邸で海水注入の了解が得られていないとして海水注入を停止するよう求め,納得しない吉田所長に対し,「おまえ,うるせえ,官邸が,もうグジグジ言ってんだよ。」などと声を上げたこと,東京電力の本店対策室も,吉田所長に対して海水注入の停止を指示したことから,吉田所長は,表向きこれを受け入れる旨返事をしたが,実際にはこの指示には従わず,密かに海水注入を続けたため,実際には海水注入が中断されることはなかったことが認められる。

 以上の点について,政府事故調は,「東京電力本店や吉田所長が必要と考えていた措置が官邸からの助言に沿わないことがあり,その場合には,東京電力本店や吉田所長は,官邸からの助言を官邸からの指示と重く受け止めるなどして,現場における具体的措置に関する決定に影響を及ぼすこともあった。」と指摘し,国会事故調は,「総理の『再臨界』発言を契機に,官邸5階で海水注入の議論が仕切り直しとなり,それを受けた武黒フェローの報告によって東電本店が海水注入停止を決断するに至った。事業者として政府の監督を受ける東電側が,政府の代表者である菅総理ら官邸政治家の発言に過剰反応したり,あるいはその意向をおもんぱかった対応をする事態は十分に予期される。したがって官邸政治家は,そうした事態が起こる可能性を十分踏まえた上で発言すべきである。この点からすれば,総理が,注水停止の原因を過剰反応した者の対応に求めることには違和感がある。」と指摘しているところである(前記1(5))。

 

ウ そうすると,原告が海水注入によって再臨界が生ずるおそれがあると考えていたか否かは別として,少なくとも本件会議に参加した者は,原告が海水注入との関係で再臨界の可能性を質問したと理解したことが認められ,にもかかわらず,原告の気迫に押されてその可能性を否定することができず,改めて検討して原告の了解を得ることになったものである。そして,本件会議後に海水注入が開始されたことを知った武黒フェローは,官邸の了解が得られていないとして強い調子でD所長に海水注入の停止を求め,実際に海水注入が中断しかねない重大な事態をもたらしたものということができる。

 そうだとすると,内閣総理大臣である原告に東京電力において開始した海水注入を中断させかねない振る舞いがあったというべきであり,海水注入の中断に関する本件記事は,重要な部分において真実であったと認めるのが相当である。

 

エ また,前記1(3)のとおり,首相官邸は,3月12日午後8時50分頃,本件事故に関する政府の対応を時系列で説明するウェブサイトのページにおいて,午後6時に「福島第一原発について,真水による処理はあきらめ海水を使え」との総理大臣指示がされた旨を公表し,原告も,その頃,自らマスコミに対し,同日午後8時20分から1号機に海水を注入する異例の措置を始めた旨を発表したこと,海江田大臣は,5月2日,参議院予算委員会において,3月12日午後7時04分に,東京電力が1号機に対する「海水注入試験」を開始し,午後7時25分に停止したこと,「総理からの本格的な注水をやれ」と指示され,午後8時20分,1号機に対し,消火系ラインを使用し,海水注入を開始し,海水には水素爆発を防ぐため,ホウ酸を混ぜたことなどを答弁したことが認められる。

 しかしながら,実際は,前記1(1)イ,(2)エのとおり,海水注入の判断は,3月12日正午頃,吉田所長と東京電力本店の対策室との間で決定され,官邸の了解を得ることなく,午後7時04分には開始されており,原告が海水注入を了承し海江田大臣にその実施を指示したのは,午後7時55分であったのである。

 要するに,原子炉を冷却するために原子炉容器内に注入していた淡水が枯渇したため,東京電力は,準備でき次第,海水注入を行うことを早々に決めていたが,官邸は,その後の午後6時に「真水による処理はあきらめ海水を使え」との総理大臣指示が出されたと発表し,あたかも海水注入を渋る東京電力に対して海水を使うように原告が指示したと受け取ることができる情報を発信したということができる。また,海江田大臣は,国会において,午後7時04分に開始された海水注入を「海水注入試験」であったと説明し,これを午後7時25分頃に停止したこと(後に停止していなかったことが明らかになった。)について批判を招かないように配慮したと受け取ることができる答弁をしたのであるから,本件記事のうち,中断前の海水注入を「試験注入」であるとし,海水注入の実施を決定したのは原告であるとの虚偽の事実を原告の側近が新聞やテレビに流したことについても,その重要な部分は,真実であったと認めることができる。

 

(4) 論評としての相当性


 「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」との見出しが付けられた本件記事は,前記(3)で述べた事実を指摘した上,①海水注入を中断させた原告の判断は誤っていたこと,②原告が海水注入を中断させた事実を「糊塗」するため,中断前の海水注入を「試験注入」であると発表し,海水注入を原告の「英断」であるとの虚偽の事実を新聞やテレビに流したこと,③以上の点について,原告は国民に謝罪し直ちに辞任すべきであるとの意見ないし論評を述べるものであるが,本件記事は,当時野党の国会議員であった被告が,内閣総理大臣であった原告に対して政治的な責任を追及したものであることに鑑みると,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものであるということはできない。

 

4 争点(3)(本件記事を削除することなく掲載を継続したことについて被告に不法行為が成立するか)について


 前記第2の1(7)のとおり,東京電力は,5月26日,3月12日午後7時04分に1号機において海水による注水を開始したところ,武黒フェローから「海水注入について首相の了解が得られていない」との報告を受け,一旦海水注入を停止することとしたが,「事故の進展を防止するためには,原子炉への注水の継続が何よりも重要」とのD所長の判断により,実際には海水注入は停止されず継続していたことが判明した旨を公表し,翌朝の新聞がこれを報道したことが認められるが,前記3(3)のとおり,本件記事が摘示した事実は,その重要な部分において真実と認められるものであり,本件記事は,飽くまでもこれがメールマガジン記事として発信された5月20日当時の記事であるとして,本件サイトのバックナンバーに掲載されたにすぎないことをも考え併せると,被告が本件サイトにおいて本件記事を削除することなく掲載を継続したことが不法行為に当たるということはできないというべきである。

 

第4 結論


 以上によれば,原告の請求は,その余の点につき判断するまでもなく理由がないから,これらをいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。

 

 東京地方裁判所民事第31部

  裁判長裁判官     永谷 典雄

  裁判官        鈴木 進介

  裁判官        中田 萌々

ワーキングプアの増大だそうで

 そういや民主党が前回の総選挙で、年収1000万以上が増えている、年収200万以下はもっと増えている。
 
 なんて馬鹿げた格差拡大論展開していたけど、共産党も似たようなこといっている。
 (なぜ馬鹿げているのかといえば、年収200万以下と200万超で比較したら後者の方が多いからである)
 
「大企業で働いても貧困 年収200万以下 3年で2割増」
・・・・・だから統計の一部だけ抜き出してイメージ作り上げるその手法いい加減やめたら?
 
「ウソ」はいってないんだけど。
ちなみに資本規模別(資本金別)1年勤続者の給与所得者数(正規非正規別)の推移は次のとおり。
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 10億以上で抜き出すとその通りなんだけど、2009年や前回の総選挙に喜々として民主や共産に投票する層というのは、こういうのに騙されちゃうんだろう。困ったことだ。
 同じ統計と基準でいうなら、こういう言い方もできるんですけど。
10億円未満の企業でみると正規雇用増は非正規雇用のおよそ1.5倍」とか
一般法人レベルでは正規も非正規も雇用が増大し、正規のほうがやや多い」とかね。
 
 なお資本金10億以上の会社って日本に5800社程度しかないんだけど。例えば「日本で一番非正規を雇用している企業」はどこか。
 
 その名は「イオン」
 
 「権力の暴走を許さない。その先頭に立つ」「働く庶民の味方」「国民とともに進む」とのたまう某左派政党の前党首の父が作った資本金2200億円グループ企業全従業員数52万人の超巨大企業グループなんですけど(・ω・`)
 
 考えれば見えてくるものもあるでしょうに。主婦のパートが時給900円で1日6時間労働して、月8万稼いだとしよう。これが果たして「ワーキングプア」といえるのかな。
 
 統計の一部だけみてあーだこーだいうのはいい加減やめたらどうでしょう?
 野党の皆様方と反リフレ派の方々

2000/08/11 日本銀行政策委員会金融政策決定会合議事録(抄)

 

2000年の0金利解除の際の議事録(抄)自分用メモ

 

 

速水議長 それでは8月の金融政策決定会合を開催する。

 

(午前9時1分開会)

 

-略-

 

本日の政府からのご出席は、大蔵省から村田総括政務次官経済企画庁から河出調整局長が出席している。

予めお断りしておくが、会合の中で出された意見、発言は全て記録することを前提とする約束なので、委員および政府からの出席者におかれては、そのことを前提に発言頂くよう宜しくお願いする。

 

-略-

 

速水議長 他にあるか。それではここで午前中の討議を終わり、12時50分に再開する。

 

(午後0時15分中断、午後0時53分再開〉

 

速水議長 それでは午後の討議に移りたいと思う。

 

三木委員 議長に提案がある。昨日の朝の各新開や今朝の新聞に、あたかも本日会合でのゼロ金利解除が既に決まっているかのような報道がなされている。 (後略)

 

-略-

 

速水議長 特に他にご意見がなければ議案の取り纏めに入る。その前に政府から出席された方々にもしご意見ございましたらどうぞ。

 

村田大蔵総括政務次官 本日自の金融政策決定会合に当たり、一言申し述べる 。わが国の景気は、緩やかな改善が続いているが、完全失業率が高水準で推移するなど、雇用情勢は依然として厳しく、個人消費も概ね横這い状態となっている。設備投資についても、足許持ち直しの動きが明確になってきてはいるものの、業種や規模によるバラツキが依然存在するなど、その持続性や広がりについてなお見極めが必要である。(中略)日本銀行におかれては、政府による諸施策の実施と併せ経済の回復を確実なものとするため、金融為替市場の動向も注視しつつ、豊富で弾力的な資金供給を行なうなど、現行の金融市場調節方針を継続して頂きたいと考えている。政策委員各位におかれては、ご審議に当たり以上申し述べた政府の経済・財政運営の考え方等につき、ご理解を賜りますようお願い申し上げる。

 

河出経済企画庁調整局長 (前略)従って、経済の現状を考えると引き続き景気回復に軸足を置いた機動的、弾力的な経済・財政運営の継続が必要である。日本銀行におかれては、金融為替市場の動向も注視しつつ、豊富でかつ状況に応じて弾力的な資金供給を行なうなど、引き続き景気回復に寄与するような金融政策を運営して頂きたいと考えており、現時点でゼロ金利政策を解除することについては時期尚早と考えている。以上である。

 

速水議長 ただ今のご発言は参考意見としてお伺いして宜しいか。それとも政府として正式に日銀法第19条第2項に規定している議決延期を求めておられるのか。

 

村田大蔵総括政務次官 参考意見である。

 

河出経済企画庁調整局長 議長、議案の提出がありましたら大蔵省代表とも相談をしたいと思っているので、中断をお願いしたいと思う。

 

速水議長 それでは議案の取り纏めに移りたいと思う。これまでの委員による検討によれば、ゼロ金利政策を解除して当面の金融市場調節方針についてコールレートを 0.25 % 前後で推移させるというご意見が多数を占めていたように思う。そこで私の方からはその趣旨の議案を提出したいと思う。これとは異なるご意見の方で、ここで正式に議案として提出されたい方がいればどうぞ、お願いする。

 

[中原委員が議案提出を表明]

 

政府から議決延期の求めをするという意思表示をされるのでしょうか。

 

村田大蔵総括政務次官 本日の会議の審議の状況を伺うにつき、ゼロ金利政策を解除する議長の議案が議長によって取り纏められるということであるが、私大蔵省の総括政務次官および経済企画庁調整局長は、日本銀行法第19条第2項に基づき本日の日本銀行政策委員会金融政策決定会合において、議決延期請求権を行使する必要性などについて、両省の間で協議し、また必要に応じて大蔵大臣および経済企画庁長官と連絡を取りたいと考えているので、私共が協議を終えるまで会議を一時中断して頂きたいと思う。会議が一時中断されている間に両省の間で議決延期請求権を行使する必要性などについて協議が成立した場合には、速やかに会議の再開をお願いする。

 

速水議長 承知した。ただ議決延期の対象となる議長案の文面がまだ確定していないので、文面が固まったところで、改めて確認したいと思う。事務局は中原委員と私の議案を配って読み上げて下さい。読み上げの後議案の説明をする。

 

〔事務局より議案配付]

 

雨宮企画室企画第 1課長 まず中原委員案である。

 

「金融市場調節方針の決定に関する件。案件。

 

次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針を下記のとおりとすること。対外公表文は別途決定する。

 

記。

 

中期的な物価安定目標として2002年10月~12月期平均のCPI(除く生鮮〉の前年同期比が0.5~2.0%となることを企図して、次回決定会合までの当座預金残高を平残ベースで7兆円程度にまで引上げ、その後も継続的に増額していくことにより、2001年1~3月期のマネタリーベース(平残)が前年同期比で15%程度に上昇するよう量的緩和 (マネタリーベースの拡大)を図る。なお、資金需要が急激に増大するなど金融市場が不安定化するおそれがある場合には、上記マネタリーベースの目標等にかかわらず、それに対応して十分な資金供給を行う。以上。」

 

である。

 

次に議長案である。

 

「金融市場競節方針の決定に関する件。案件。

 

次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針を下記のとおりとすること。対外公表文は別途決定する。

 

記。

 

無担保コールレート(オーバーナイト物〉を、平均的にみて0.25%前後で推移するよう促す。以上。」

 

である。

 

-略-

 

中原委員 提案理由は毎回申し上げているとおりであるが、もう一度繰り返して申し上げると、第一の理由はGDPギャップが依然として大きいことである。(後略)

 

 

-略-

 

 

速水議長 私は第4条の整合性はとれていると思う。あらゆるレベルで連絡をとり合い、話し合ったりしている。私も話はしてきた。それに対して中央銀行の立場で通貨および金融の調節における政策の決定の自主性は尊重されなければならないという第3条の条項に基づいて決定したいと思う訳である。先程政府の方から議決延期の求めに関する検討を行ないたいとの意思表示が出ているので、10分間休憩とする。

 

(午後2時51分中断、3時10分再開)

 

速水議長 それでは、再開する。政府の方から正式に議決延期の求めを出すのかどうか。

 

村田大蔵総括政務次官 会議を一時中断して頂いたが、その間私共は日本銀行法第19条第2項に基づき、議決延期請求権を行使する必要性などについて協議を行ない、その結果協議が成立したのでここに会議を再開して頂くよう要請する。本日の会議における各委員の議論や提案された議案等を踏まえ、両者の間で協議を行なった結果、わが国経済の現状や市場の動向等に鑑みれば、現時点におけるゼ口金利政策の解除は時機尚早と思われることから、私大蔵省総括政務次官および経済企画庁調整局長は、ここに本日の日本銀行政策委員会金融政策決定会合において、議長により取り纏められた議案の採決を次回の金融政策決定会合まで延期して頂くよう求めたいと思う。以上である。

 

速水議長 それでは、議決延期の請求を出されるようであるので、政府からの議決延期の求めについて、皆さんで討議をして頂きたいと思う。そして最後に各々の議案について採決するということで取り進めたい。執行部は政府から提出された議決延期の求めを配って読み上げて下さい。

 

[事務局より政府からの議決延期の求めを配付] 

 

それでは読み上げて下さい。

 

雨宮企画室企画第1課長 大蔵省村田総括政務次官経済企画庁河出調整局長提出分。

 

日本銀行法第19条第2項の規定による議決の延期の求めに関する件。案件。

 

日本銀行法第19条第2項の規定に基づき、議長提出の『金融市場調節方針の決定に関する件』(平成12年8月11日付政委第117号)に係る政策委員会の議決を次回金融政策決定会合まで延期すること。」 。以上である。

 

速水議長 これについて何かご説明を求められる方はおられるか。いないようなので、この請求について皆様からご意見、ご議論を自由にご発言頂きたいと思う。どなたからでもどうぞ。

 

中原委員 議事の進行はどのようになるのか。

 

増渕理事 議事について私から簡単に申し上げる。この政府からのご提案について委員方でのご議論が尽くされたところで他の議案を含めた採決に移って頂く。つまり政府のご提案についてのご議論があって、その後政府の案を含めた三つの議案のうちまず政府案について可否の決定があり、その決定の如何にもよるが、その後中原委員案と議長案について採決することになる。取り敢えずこの場で政府案についてのご意見、ご議論があればそれについて討議して頂く。

 

中原委員 採決は どの順で行なうのか。

 

増渕理事 採決はまず政府の議決延期の求めについてその採否を決定して頂く。

 

中原委員 私の案と混乱するがどうなっているのか。

 

増渕理事 採否で延期が可決となれば議長案の採決は延期となる。もし延期の決定が否決されれば中原委員案と議長案の採決が行なわれる。

 

中原委員 了解。

 

-略-

 

山口副総裁 先程河出経済企画庁調整局長は下方リスクの例をつ幾か挙げられたと思うが、もう一度言って頂けないか。

 

河出経済企画庁議整局長  先程の意見の時にも申し上げたが、アメリカの株価の先行きについて不透明感があるとみている。これも程度問題であろうがこれまで急角度で回復してきたアジア経済に一服感がみられる。それからこれまでの景気の下支え要因であった公共投資について補正予算をどうするかという議論も あるが、現在の政策のままだとかなり減衰しつつあるとみている。それから不良債権処理問題の影響が必ずしも今の段階で十分見極めがたいといったような下方リスク・下押し要因があるのではないかとみている。そういった意味でより慎重な対応が現時点では必要ではないかと考えている。

 

-略-

 

速水議長 他にご討議頂くことはあるか。

 

中原委員 私は議決延期請求は重大な事態だと思っている。(中略) 本題に入ると、日銀法の第4条に規定されているとおり日本銀行は日頃から政府と緊密な意思疎通を図るべきであるが、どうも先週から今週にかけて国会の予算委員会や、月例経済閣僚会議において色々やり取りがあったようでそれがマスコミの報道を通してみると、挑発的な言辞ともなってみたりして、エスカレートしていった感があり、私としては極めて遺憾である。これまでG7においても政府と日本銀行との関係はどうなっているのかと海外から色々批判めいたものが出た訳であるが、このようにエスカレートした中で議長案の採決を強行することになると海外の当局や市場関係者から日銀を含めた日本の政策当局への不信を決定的なものにして、今後の政策運営に禍根を残すのではないかと思う。(中略) 四番目に、本件は議決延期要求が出たことによって、今後の金融政策、日本銀行の将来の在り方について極めて重大な問題を投げかけたと思う。日本銀行が独立性を獲得してまだ2年余りで、それも色々な偶然的な事由もあって手に入ったが、今は戦後日本が民主主義を手に入れたのと全く同じで、オールド・ブンデスパンク的な独立性ではなく日本の議会制民主主義の中でどのようにして日銀の独立性があるべきか今回は問題を投げかけたのではないかと思う。然るべき冷却期間を設けるのが適当であると存ずる。それから最後に日本銀行は日銀法の中で活動している訳で、政府は議会制民主主義の下での行政であり、背後には国会という国権の最高機関がある訳であるから、政府からの議決延期請求については 、国会の意思が背後にあることを無視してはいけないのではないかと思う訳である。私はいずれにしても不信とか対立が決定的にならないように次回まで冷却期間をおいた方が良いのではないかというふうに思う。以上である。

 

速水議長 私は第4条の政府との関係について言えば、この間の関僚会議に出席して経企庁の8月の報告と認識を審議して頂いたがほとんど同じことを言っており、変わっているとは思わない。金融政策の決定であるから同じ時期にスタートしなければならないというものでもないし、タイミングが違ったりすることもある。こちらが政策判断としてどれでいくか決定するのは第3条で認められた我々の自主性である。 他にご議論はあるか。

 

-略-

 

速水議長 これ以上議論をしても時間がかかるばかりで結論が出ると思えない。第19条3項にあるように、前項の規定による議決の延期の求めがあった時は、委員会は、議事の議決の例により、その求めについての採否を決定しなければならないから、採決に移りたいと思う。

 

中原委員 一つだけ申し上げたい。慎重を期せば、4~8月のGDPをみて少なくとも2期連続でプラスになったことを確認したうえでもなぜ遅いのかという議論は当然あると思う。私は慎重を期すのであれば第2四半期のQEが出るまで待った方がいいと思う。

 

速水議長 その議論は既にかなり出ている。 採決に移りたいと思う。宜しいですか 。最初に政府から提出された議長案に対する議訣延期の求めについて日銀法第19条3項に基づいてその採否を決定するための採決を行なう。その後、金融市場調節方針に対する議案として、中原委員案、議長案の順で一つずつ採決することとする。ご異議ございませんか。

 

[全委員が賛意を表明]

 

それでは異議がないようなので採決する。政府からの出席の方は別室へお願いする。政策委員会としての議決がなされてからまたお呼びする。

 

[政府からの出席者退室]

 

それでは政府から提出された議長案に対する議決延期の求めを採決する。事務局は正式な議案を持ち回って、委員から決裁を得た後にその結果を報告して下さい。

 

[議決の延期の求めについて事務局より決裁文書を回付、各委員がサイン]

 

議決結果 賛成:中原委員 反対:速水議長 藤原副総裁 山口副総裁 武富委員 三木委員 篠塚委員 植田委員 田谷委員 棄権:なし 欠席:なし

 

 

 

横田政策委員会室長 日本銀行法第19条第2項の規定による議決の延期の求めに関する件についての採決結果を報告する。賛成1、反対8、反対多数で否決された。

 

速水議長 それでは続いて、金融市場調節方針に関する議案を順番に採決する。まず中原委員の議案の採決をお願いする。事務局は正式な議案を持ち回って、委員から決裁を得た後、結果を報告して下さい。

 

[中原委員の議案について 事務局より決裁文書を回付、各委員がサイン]

 

 

議決結果賛成:中原委員 反対:速水議長 藤原副総裁 山口副総裁 武富委員 三木委員 篠塚委員 植田委員 田谷委員 棄権:なし 欠席:なし

 

横田政策委員会室長 中原委員提出の議案についての採決結果を報告する。賛成1、反対 8、反対多数である。

 

速水議長 それではただ今の議案は否決された。次に私の提出した議案について採決する。事務局は正式な議案を持ち回って、委員からの決裁を得た後、その結果を報告して下さい。

 

[議長の議案について事務局より決裁文書を回付、各委員がサイン]

 

 

議決結果 賛成:速水議長 藤原副総裁 山口副総裁 武富委員 三木委員 篠塚委員 田谷委員 反対:中原委員 植田委員 棄権:なし 欠席:なし

 

 

横田政策委員会室長 議長議案の採決結果について報告する。賛成7、反対2、賛成多数である。なお、反対の委員は植田委員、中原委員である。

 

 

速水議長 それでは、7対2の賛成多数で可決された。植田委員と中原委員は反対の理由をもし明確にしておかれたいということであればどうぞ。

 

 

植田委員 名前付きで出るチャンスであるので、極く簡単に三つだけ申し上げる。 第一に、景気情勢等に関する見方には、他の委員と私の間で余り差はない。従って、不謹慎ではあるが、今回の利上げが失敗に終わる確率は非常に低いと思っているし、私の反対が杞憂に終わる可能性は高く、また、そうあって欲しいと願っている。これは反対理由にはならないが。二番目に、そのうえで私は何割かのリスクがあることに配慮した。先程来申し上げているように二点であり、一つはマーケット動向、特に株式市場の動向等についてもう少し見極めても宜しいのではないかという点である。もう一つは、現実の足詳のインフレ率の動向、あるいは推計されるGDPギャッブ等から判断して、適正な金利は漸くゼロ達したかどうか という辺りであるので、もう少しはっきりプラスになるまで待つことにある程度の魅力を感じているという点である。三番目に、そのように待つことのコストが足許のインフレ動向から判断して、それほど大きくないのではないかと思われることである。以上である。

 

速水議長 中原委員、どうぞ。

 

中原委員 (前略)最後に何と言っても一番大きな問題はGDPデフレギャップがかなりある現在、生鮮食品を除くCPIが依然として下落気味である時に利上げをすることは、経済学のオーソドックスな理論に私は反するのではないかと思う。特に最近国際的な学会で日本の経済が随分取り上げられ、日銀の金融政策が分析されている訳であるが、そういった場での世界の経済学者と日銀のやりとりをみるにつけ、これはもしかしたら日本異質論ではなく、日銀異質論と言われかねないと強く懸念している。以上である。

 

-略-

 

山口副総裁 1か月待って欲しいと政府に言われたら、結局待つべきだ、と言っている訳か。

 

中原委員 私は先程議決延期請求に賛成した。

 

山口副総裁 常に政府の方針に従うべきであるということか。

 

中東委員 従うとは言えない。

 

速水議長 独立性ということをいつも随分言われているではないか。それではここで、政府の方に入って頂き先に進みたいと思う。

 

[政府からの出席者入室]

 

政府からの議決延期の求めについては、反対8、賛成1で否決された。中原委員案については反対8、賛成1で否決された。議長案、ゼロ金利解除案であるが、反対2、賛成7で可決された。

 

村田大蔵総括政務次官 ただ今政府による議決延期請求が否決されたと伺い、議決延期請求が否決されたことは誠に残念であるが、日本銀行におかれては今回の決定が回復しつつあるわが国の景気の腰折れや金融・資本市場への悪影響をもたらすことのないよう、新たな金融市場調節方針の下においても、景気や金融・資本市場の動向等を十分に注視しつつ、豊富な資金供給を行なうなど、適切かつ機動的な金融政策運営を続けられることを要望したいと思う。

 

河出経済企画庁調整局長 私共も同じ要請である。お願いする。

 

速水議長 私からも一言申し上げる。本日は政府からの議決延期の求めを否決し、ゼロ金利政策を解除することとなった。ただ本日議論させて頂いたところ、最気の先行きに対する見方や経済政策の基本方針が政府と日本銀行との間で異なっていることはないと思う。繰り返しになるが、今回の措置は経済の改善に応じて、金融緩和の程度を微調整する措置である。従って、金融が大幅に緩和され、景気回復を支援する状態は継続することとなる。この点は政府にもご理解頂けるものと思っている。また(後略)

 

-略-

 

村田大蔵総括政務次官 私共政府側として、本日議決延期請求権を行使した事実とその理由は、本日中に公表せざるを得ないと考えているので、お含み置き願いたい 。

 

-略-

 

速水議長 私共も、本会合終了後30分後にその他の公表文と一緒に公表することとしたい。それではここで、対外公表文の作成をしたい。金融市場調節方針の変更に関する対外公表文の検討および決定に移りたい。まず原案作成のために多少時間を頂きたいと思う。藤原副総裁、山口副総裁と執行部は別室で原案を用意して下さい。その間皆様は自席で10分間お待ち下さい。

 

(午後4時19分中断、午後4時28分再開)

 

速水議長 それでは、金融市場調節方針の変更に関する対外公表文の検討および決定に移りたい。原案の用意ができたようなので、事務局から読み上げてもらう。

 

雨宮企画室企画第1課長「平成12年8月11日。日本銀行。金融市場調節方針の変更について。

 

(1)日本銀行は、本日、政策委員会金融政策決定会合において、金融市場調箭方針を以下のとおりとすることを決定した(賛成多数〉 。無担保コールレート(オーバーナイト物〉 を、平均的にみて0.25%前後で推移するよう促す。

 

(2)日本銀行は、昨年2月、先行きデフレ圧力が高まる可能性に対処し、景気の悪化に歯止めをかけるためのぎりぎりの措置として、内外に例のない『ゼロ金利政策』を導入した。その後、デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢となるまで 『ゼロ金利政策』を継続するとの方針のもとで、この姿勢を維持してきた。

 

(3)その後1年半が経過し、日本経済は、マクロ経済政策からの支援に加え 、世界景気の回復、金融システム不安の後退、情報通信分野での技術革新の進展などを背景に、大きく改善した。現在では、景気は回復傾向が明確になってきており、今後も設備投資を中心に緩やかな回復が続く可能性が高い。そうした情勢のもとで、需要の弱さに由来する物価低下圧力は大きく後退した。このため、日本経済は、かねてより『ゼロ金利政策』 解除の条件としてきた『デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢』に至ったものと考えられる。

 

(4)この間、7月央以降は、いわゆる 『そごう問題』 の影響にも注目してきたが、これまでのところ、この問題を契機として、金融システムに対する懸念が広まったり、市場心理が大きく悪化するといった事態はみられていない。

 

(5)今回の措置は、経済の改善に応じて金融緩和の程度を微調整する措置であり、 長い目でみて経済の持続的な発展に資するという観点から行うものである。今回の措置実施後も、コールレートは0.25%というきわめて低い水準にあり、金融が大幅に緩和された状態は維持される。日本銀行としては、物価の安定を確保するもとで、こうした緩和スタンスを継続することにより、金融面から景気回復を支援していく方針である。以上。」

 

である。

 

速水議長 それでは、意見等があればどなたからでもどうぞ。

 

三木委員 (5)であるが、先程村田大蔵総括政務次官からあったように、政府の経済政策の考え方と整合性を持った形で今後も潤沢な資金を供給して欲しいといった話があった。その辺のところをはっきり書いておかなければいけないのではないか。

 

増渕理事 この最後のパラグラフには、今三木委員が言われた趣旨が入っている積もりだが、もう少し明示的に政府の経済政策も考えながら行なうということを・・・。

 

三木委員 村田大蔵総括政務次官からは、採決後に、議決延期請求は否決になったが、日本銀行としては云々というお話があった訳である。これは非常に大事なことだから必ず入れておかないと、誤解されてしまう。

 

増渕理事 一番最後の辺りに政府の経済政策との整合性を明示するとしてどういう言い方が宜しいのだろうか。

 

-略-

 

三木委員 要するに、議決延期を提案された政府代表の議案が否決され、残念ながらということで再度日銀に対してこういうことを強く要請したいと言われたので、その中身については我々は全く同意見な訳で、それをはっきりと文書で出しておく必要があるという意味である。

 

-略-

 

藤原副総裁 言われていることは分かるが、この金融市場調節方針の変更についての中身は日本銀行が採る政策の説明なので、これはこれで宜しいかと思う。 今言われたようなことは記者会見等で総裁から当然言及されると思うし、日本銀行の政策方針の中に精神は入っても、文字としてはここに巧く入らないような気もするので、気持ちを他のオケージョンで表明することではどうだろうか。

 

三木委員 駄目だね。今回これだけのことをしている訳である。本行の政策方針はこの1ページに尽くされている。

 

-略-

 

三木委員 反対である。今一番大事なのは政府との真っ向対立となっている結論を公表文で外へ出すことなので、きちんとすべきである。それぞれ政府の方も意見を述べる場があって、その意見を踏まえてのことである。中原委員の話ではないが、そんな生ぬるいことを考えては駄目である。記者会見では言わざるを得ないと言っているのに、なぜ書いて悪いのか。ディレクティブの中に入れる訳ではない。公表文の一番最後に、政府もそう言っているし、我々の方もそこはきちっと行なうということを書いて安心してもらうような表現にする訳である。だからそこを書きなさいと言っている。言わないのなら別であるが、記者会見で言おうとしている位なら書けば良い。何をこだわっているんだ。

 

-略-

 

山口副総裁 私は三木委員とは原則的な考え方が違うが、そこまで言われるのであれば(6)を設けてはどうか。そこで、政府代表から表明されたことに触れてはどうか。

 

-略-

 

武富委員 三木委員が言われてることを表わすのは、例えば、この一番最後の行の 「金融面から」 の前に「政府とともに」あるいは 「財政とともに、金融面からも」とすることでは足りないか。

 

-略-

 

田谷委員 それは(5)の後ろか、(6)か。例えば最後の文章にもう一つ付け加えて、「こうした方針は政府の景気支援方針と整合的であると考える。」とするのか。

 

三木委員 「であると考える」というのはこっちの一方的な意思だ。

 

田谷委員 ただ 「要請」は書けないと思う。

 

三木委員 要請が難しいのだったら、整合性を念頭に置きつつとか何か巧い表現があるだろう。

 

雨宮企画室企画第1課長 今の田谷委員とほとんど同じだが、景気というよりもう少し全般的な経済政策ということで、その(5)の 「金融面からの景気回復を支援していく方針である。」の文章に続けて、「こうした考え方は政府の経済政策運営の基本方針とも整合的であると考える。」というような表現を付け加えるというのではいかがか。

 

村田大蔵総括政務次官 そうすると、何で私共が議決延期請求を出したのかという問題を誘発する。ベクトルが同じでも多少違う訳である。

 

雨宮企画室企画第1課長 基本方針ということで三木委員が言われたベクトルという感じを出すということである。 要するに、景気対策とか景気政策とかの考え方を「経済政策運営の基本方針」という格好でそのベクトルのイメージを取り敢えず出す訳である。そして、「考える」という意味では日本銀行が考えているということである。

 

山口副総裁 いつか似たような表現を使ったことがある。

 

雨宮企画室企画第1課長 9月21日の会合で、大きな議論になった際、最後に纏まった表現がこれである。正確な文章は覚えていないが、「こうした考え方は政府の為替政策運営の基本的な考え方と整合的であると考える」といったように、考えるという方針は、日本銀行が考えるということで宜しいとなった経緯がある。

 

三木委員 それを念頭に置いて言っている。

 

河出経済企画庁調整局長 私が申し上げるのもどうかと思うが、緩和スタンスの例示に私共が要請したようなことを書いて頂ければ、私共がこういう要請をしたことも受けて緩和スタンスになっているという当方の説明材料になる。

 

藤原副総裁 豊富で弾力的なといった文言か。

 

河出経済企画庁調整局長 金融なり経済動向に応じて弾力的な資金供給を行なう等といったことを緩和スタンスの例示にして頂ければ、私共が要請したことも受けてこうなっているとして、当方も説明しやすいと思う。

 

田谷委員 ただ、「豊富で弾力的」 とは言えない。

 

増渕理事 先程話を聞いていたところでは、「豊富で弾力的」とは言われなかった。「適切かつ機動的」だったか。

 

村田大蔵総括政務次官 適切かつ機動的な緩和スタンスという政策運営を続けられることを要請すると言った。

 

雨宮企画室企画第1課長 日本銀行としては物価の安定を確保する下で 。

 

河出経済企画庁調整局長 金融為替市場の動向も注意しつつというのもできれば入れて頂きたい。

 

増渕理事 余りにも政府の表現と一緒になると。

 

速水議長 「日本銀行としては物価の安定を確保する下で」のその次に入れるのか。

 

増渕理事 数分頂きたい。

 

雨宮企画室企画第1課長 事務局の案を読み上げる。(5)の第2パラグラフから読む。「今回の措置実施後もコールレートは0. 25 %というきわめて低い水準にあり、金融が大幅に緩和された状態は維持される。日本銀行としては、物価の安定を確保するもとで、適切かつ機動的な金融政策運営を継続することにより、 金融面から景気回復を支援していく方針である。」。

 

-略-

 

雨宮企画室企画第1課長 ではもう一度読む。今度は下から3行目の日本銀行としては、から読む。宜しいか。「日本銀行としては、物価の安定を確保するもとで、適切かつ機動的な金融政策運営を継続することにより、景気回復を支援していく方針である。」

 

三木委員 結構である。

 

速水議長 他、特にないか。ではこれで決定する。

 

-略-

 

速水議長 最後に一つだけ申し上げておきたい。決定会合の摸様は本当にここに居る人しか分からない訳であるが、この模様を報道したものについて若干報告したい。共同通信の報道で一つは4時1分に 「16:01 速水日銀総裁、決定会合にゼ口金利解除を提案 (了)」、それから4時46分に「日銀総裁が解除案提出 、政府は議決延期請求権を行使。関係筋によると、日銀の速水優総裁は11日の金融政策決定会合でゼロ金利政策の解除を提案し、会議に出席している政府の代表は議決の先送りを求める議決延期請求権を行使した模様だ。」とある。情報の出所はなお不明確であるが、こういうのが出るというのは極めて遺憾な事態だと思う。本件については状況把握にもう少し努めてみたいと思っているが、ここで改めて本日の決定内容は会合終了後の公表において初めて対外公表されるものであること、それまでの間は情報管理を厳しく堅固に実施して頂きたいことを改めて確認させて頂く。政府代表の方々も宜しくお願いする。

 

どうも長時間ご苦労様でした。閉会に致します。

 

(午後5時18分 閉会)

リフレ政策への批判とその変遷

「雇用が増えたといっても非正規だけ」
「物価が上がって実質賃金が下がってるから意味がない」

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 ・実質賃金が下がることにより、雇用が回復し、労働需給が逼迫することにより賃金が上昇する
非正規雇用から先ず回復し、その後正規雇用に波及する
・給与もまず非正規雇用から伸び、その後正規雇用にも波及する

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  と、あらかじめアベノミクス(というよりクロダノミクスという方が正確か)支持派が、当初からいっていたこと。
 あと日本特有の問題(というより現象)として、高齢者雇用安定法にもとづき60歳以降の再雇用(又は定年の延長)も要因の一つ、統計見りゃわかることなんだけど。
 
 そうすると、こんな意見が出始めた。
「平均給与が減少している」
 
労働市場にこれまで参加していなかった層が入り始めると平均給与が下がるのは当たり前。
 たとえば、4人が100,90,80,70の給与を稼いでいるとする。すると平均値は85になる。
 これが5人となり、100,90,80,70,40となるとその平均は76になる。 あら大変賃金の平均下がってる、コレハタイヘンダワー!
 なお雇用者報酬総額で見ると、前者は340で後者は390で後者のほうが大きい。まあこれまで所得0の人が稼ぎ始めたんだから当然だけど。
 また未経験の人を雇った際、どんな職場でもその職場のベテランやエリートと同じ待遇にするわけがない。スキルを持っている人が会社を渡り歩くの(転職)とは違うのだから。
 ああ、あと再雇用(嘱託)の方の賃金がカットされるって影響もあるだろう。身近な例だと「再雇用で給与半分だよ」というグチはよく聞く。その半分でも新卒より賃金高いのだけど。ただこれが多いと当然「総額」は減る。
 100,90,80,70の4人がいて、100の人が定年をむかえて給与を50にされたとする。失業が減らない(雇用が増えない)段階で(且つ定昇凍結ベアをなしとした場合)だと、当然総和は、340から290へ、平均は72.5に下がる。 

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  あれおかしいな。確かに平均給与も雇用者報酬総額も減少傾向が続いていた、この20年。だけど政策変更があってから雇用者報酬総額は増え、平均給与も最近は下げ止まりの傾向を見せている。なんでだろうね。

 

「失業”率”が下がったのは"生産年齢人口(15歳以上-64歳以下人口)"が減っているから」 

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 自分が大学を卒業する頃が丁度、日本の人口がピークとなった頃なんだが、その後6%近くまで失業率上がっていた時期もあったが、今は3%ですよ。3%切るかもしれない。矛盾してるだろ、その主張
 こういう人たちは、なぜか"労働力人口(就業者数+失業者数の総和のこと)"が増加している上に失業率が下がり、失業者数が減っている、という点を無視する。

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「物価が上がっていないから失敗」
「貸出が増えていないから失敗」
 
 物価が上がって実質賃金下がったーって批判して、その後は「物価が上がってないから失敗」と言い出す、もうなんなのか、この支離滅裂な主張は。日銀が目標達成できていないから失敗とね。
 いやいや、物価が最近あがらなくなったのは、「原油価格の下落」と消費税増税による「消費需要の低迷」が原因。ものが売れなきゃ値段は上げられないでしょう?
 故に、リフレ派の殆どは「消費税増税は(すくなくともデフレ脱却が明確化するまで)反対」と言い続けていたけど、お忘れのようだ。
 ちなみに貸出も増えてますね。小泉景気の水準をすでに上回っていますが、なにか?
 ああ、そういえば最近は
 
「実質賃金があがってるけど、それは物価が下がってる影響だから!」

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 なんてのまであるな、その点は否定しないけどね。名目賃金も上昇に転じていることを無視しちゃだめだよ、まあ「見えない」のだろうけど。
 
 
 
引用元:
雇用形態別雇用者数の推移
生産年齢人口と正規雇用者数の推移
生産年齢人口と非正規雇用者数の推移
労働力人口正規雇用者数の推移
 上記いずれも、総務省統計局 労働力調査より 但し、2016年のデータは1月から8月迄の月次データの平均値を用いている
http://www.stat.go.jp/data/roudou/longtime/03roudou.htm
給与総額と平均給与
 国税庁民間給与実態統計調査より
https://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/jikeiretsu/01_02.htm
実質賃金指数(きまって支給する給与)の推移
 厚生労働省毎月勤労統計調査より 但し、2016年のデータは1月から8月迄の月次データの平均値を用いている
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011791